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さくららい制作日記

こころと創作について

漫画VS小説

思想

  漫画VS小説という不毛な議論で「漫画は絵で説明するので想像力が育まれない」とあった。これは漫画の強みであり弱みだ。素晴らしい絵が描きたい(また読者が見たいと思うもの)と描くわけだから具体的でよくないと批判されたらその母体を生み出す意義がなくなる。しかし絵は説明されないからむしろ抽象性が極めて高い。逆なのだ。漫画や視覚的な母体は想像力がないと読めない、ということだ。

まだつづく

雑記 文化

  あんなことを書いたあとだけど、ぼくは読書したりアニメを観たりしているうちにまだやり残したことがあるように思えたから、まだつづけることにした。まわりを見ていますと、姿勢を悪くしてまでスマホに張り付いていり人がいて、ぼくはたぶん、そんな生活に疲れいるのだと感じました。けれどまだここに住んでいますので、よろしく。

  仁木稔さんの小説「HISTORIAシリーズ」からぼくが感じたのは、途方でたいへんだなあ、ってことです。細かく語られる文化に対しての造詣の深さにまず驚き、それらは地道に書いたんだろうな、と思わせて密度に静かな感動がある。ちゃんとSFしてるしね。

彼女の作品に感銘を受け、人間(ヤノマミ)に、というよりその文化的な側面に興味を持った。

人間たちは産まれた赤児を殺す(=精霊のままにする)か生かす(=人間として迎える)かを選択する。あてにならないウィキペディアの情報だと、“中国やアメリカでは、中絶処置で摘出された胎児の組織を利用して、アルツハイマー病やパーキンソン病の治療などの研究に使用されている” とのことだ。

子供は宝だ。とはいうが、実際には奇形児や障害児が産まれてくるわけであり、生まれてからのリスクを考えると、赤児のうちに殺すのはわからなくもない。まだ人間じゃない、とすれば。実際の医療はどうなっているのか詳しく知らないから言及を避ける。

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最果ての地の唄

雑記

  あらゆる作品を描き終え、すでにやり残したことはもうほとんどない。あとは、ぼくがやらなくとも誰かがそれを成すものばかりだ。だから、ぼくはそろそろネットから去るのかもしれない。ブログやツイまたピクシブなどは一切削除しないので、ぼくに逢いたければそれらを開くといいかもしれない。

  ぼくは、ぼくが死なないとは断言できないけれど命を絶つわけではない。創作活動は方針を一切変えずにやりつづけるべきだと思うわけで、だからもしかして未来で運命的な再会があるのかもしれない。

 

  今まで数えきれない笑いと驚きがそれらに与えてもらった。それには感謝の気持ちがとめどなく溢れる。ありがとうございます。

つらつら述べていて、軽い気持ちで復帰することもありえるけれど、とりあえずここで「さようなら、いつか」と言い残しておくことにした。

 

さくららい(さくらい そういち)からとりあえずは最後の言葉です。

「あなたがより面倒で長い道のりを歩むとき、その風景は別れの連続ではなく、すべてあなたの中で共に歩むものである」

 

男子ってー飢えた獣なんでしょ?

雑記 思想

  女性の中には「男性なんか飢えた狼」とか思っている方もいそうだが、男性はけっこう「人間のどうしようもなさ」を知っている。「飢えた狼」みたいな男性はあまりいない。男性って女性を見ると、老いていくんだろうな、誰かと結婚するのかなあ、とか儚さが伴った諦念が沸き起こるものだと思う。

エヴァンゲリオン』のシンジくんが浮いてるのはそういうことでしょ。シンジくんは「リアル」だし。

  綾波もアスカもキャラだけど、シンジくんだけ「ガチな中学生男子」。

惡の華』でガチな中学生男子がでてきたけど、あれ拒否反応あるのは、自分を客観視してるからでしょ。自分はこんなんじゃない! って。

  テレビのドラマからアニメ、映画やある意味ニュースまで作り物だが、惡の華やシンジくんは「ガチな中学生」というのを客観視させられる。お前たちの日常はなんにもドラマティックじゃないぞ、と。こんなにも退屈なんだぞ、と。というか、「飢えた狼」みたいな男性だと、むしろモテるというか、面白いでしょ。

性の悦びおじさん。

 

  男子ってー。悶悶な中学生だとしても、いずれ女性がただの肉にすぎず、夢がただの逃避行為でしかない、ということを「客観視されていること」で気づく、宿命的な悪夢の旅人だ。

で、本題というか、なんというか。その中で「ロリサイコー」とか「メイドさんサイコー」って言ってるの、涙ものでしょうよ。

 

 

文体

雑記

  硬質な文体って文字書きからすれば、憧れの一つだと思う。ぼくはできないけど、漫画なら硬質な文体で書けるかもしれない。

  文体をどうするかは悩みのタネだと思う。くどいレベルで比喩をつかう人はSMSとかにはほとんどいない気がする。どちらかといえば、さっぱりした「そのまんま」な文体が多数かな。

ぼくは言葉フェチというか、まあ「文学的」な人間でどういう文体なのか気になる。

硬質な文体にすると、「普通な人たち」が書きにくいってのがある。

  いわゆる「語学ヲタ」がいるけど、たしかに外国語学習は面白いンだが、それ以前に言葉の性質が面白いでしょって。じゃあ、よく使う日本語ってことになる。そうなると、「語学ヲタ」じゃなくて、やっぱ「言葉ヲタ」なんだよ。

「やっぱ」「ま」「そうそう」っていうような、ひらがなの表現が好きなんで、それらを駆使しつつブログみたいに創作していきたい。

どんどん著者がエスコートしていくふうな書き方より、ある瞬間にやってくる描写のすごさに感心がある。みたいな。文体が硬質でストーリーもしっかりしている、ってのは素晴らしいけどね。ぼくは前述のとおり、瞬間を描写していきたい。

文体いじりは楽しい。あきらかに、人間の寿命は長すぎで、だから人間はさまざまな趣味を持ち、なんらかのヲタになったりするわけだ。そう考えてみる。ならばできるだけ「長い時間遊べる」ものに興味を持つことだ。

 

 

ゲームのキャラデザ

雑記 ゲーム

  ゲームをつくりたい、ってイラストの依頼があったので協力した。
イラストは全八枚をiPhoneで二日かけて描いた。設定とかもぼくが考えた。
 

  最近は精神状態がよくない。誰かに裏切られるんじゃないか、ぼくの存在意義とはなんだ、みたいなのが脳裏に渦巻いていた。
でも、やることがあるとふしぎと前向きになるものだ。


  名前は『カルデラ
語源のスペイン語が「鍋」とからしいので、炎系属性の料理人キャラということにした。

ゲーム的にわかりやすいキャラがいいだろう。

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諦めること

雑記

  ぼくの奥の方の原動力は人間への憤りだからか、どこかで人間に諦めがある。それは嘲笑ですらない。たぶんそれが赦してしまう性格を築きあげてる。コップの水が溢れるともう溢れてしまう心配のないように。

  精神上の免疫なんだろう。これ以上なにかに怒っても、変わらない。ガキの頃から諦観でいたから、まわりのガキには到底理解できなかったろうな。

  諦めたとこから老化は始まるらしい。生きている人間は何かしろ、命とか夢に希望を持っている。それを諦めたら、もう人間である必要すらなくなる。そういうことだ。

  親戚のじいさんが病室であと少しで確実に死ぬというのに、鈍感で退院したら、と話していた。あんな風になれればいいけど、まあ無理だろう。

  あたりまえというか、命を諦めるときが来るタイプの人は、この現世に「何かを遺す」とかはなんの希望にもならない。なぜって、完全に消えてしまう人間にとっては、「諦める」ことしかできなく、「遺す」ことにはなにもない。