悪業! 狐のお仕事(ショート)
大阪市営地下鉄動物園前へ進むなか、がたとん。手からスマホがおむすびがころげるみたいに、車両の床へとんだのでひろいにいきました。
歯を閉じて話すかのような車掌さんは、独特な声でなにやら放送をはじめました。
しばらくお待ちください。
ゲームのつづきに夢中になっているわたしの隣に、おじさんは話しかけてきたのです。
「誰か死んだな」
肥えた声でかすかに笑いが混ざっています。ゲームの最中でいきなり話しかけられびっくりして心臓がばくばくしたわたしは、声がやけに悪人に聞こえたのかもしれません。
噂話は本当に、神主さんが人身事故で亡くなったとのことでした。わたしは、事務所で新聞に掲載されている記事によって、はじめて悪意を知りました。
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海がみえてとってもステキなホテルで、英国女王陛下の近衛軍楽隊による、ステキな演奏がありました。
あきらかに場違いなジーパンとカーディガン姿のわたしは、場違いに疲れはて、天王寺行きの電車で窓に醜い顔をみつけました。こんなに疲れたのか、やすもう。
わたしは、コンビニであたたかさを感じました(これでも皇室の生まれなのに‼︎)。
着物が似合う女なんて夢のまた夢です。ふざけて笑ってコンドームを買う中学生に、わたしは意味もなくドギマギしました。
足を引きずり帰るころ、見上げるとタバコの煙につつまれたかのような、秋の美しい月がみえました。
臆病者をラビットとミリタリ趣味のかたは言うらしいです。月はウサギが住んでいて、餅をついていますから、そうですね。あの月に自分をみたのかもしれません。
中学生とえっちなことなんて興味はあっても、母との約束に背きますし、なによりこわい。お金はなかったので、財布をあけると五円もない。なんつって。ロトで五億を当てたかたがうらやましくて、泣いていたとき、百華さんはたしか。
「ふん、少数の法則じゃ! 千人に聞いた場合とのお、わずか四人に聞いた場合も、どちらも七五パーセントなのじゃよ」
タバコを吸って、また吐いて繰り返しながら、タンタンタンタンとキーボードを連打して、マウスをクリックします。
すると九本の立派な尻尾がモコモコとうごめきだして、「同じ。一億円は一人でも当選者がでたといって、広告ができるわけじゃな」
両腕をお尻に隠した警察官に睨まれて、鳥肌を立てます。ムーンウォークしていたからでしょうか。あなたはたぶん、衛生管理上の理由でお供えができない地蔵で、手を合わせたわたしをわらうでしょうね。
それから、道路工事中で小型クレーンをよそ目に眠る作業員さんたちと、二人の警備員さんがなんだかかっこよくみえたのです。
だんだん、わたしにもふつうがわかってきたのでしょうか。
とはいえ、自室ではお風呂に入ってから、イケメンの動画でオナニーして、しあわせなな未来を夢にみて眠ったのです。
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《星狐》は神さんでありまして、と男は云った。
カエルが車に轢かれ、内臓をぶちまけて潰れている。
七月一七日。
藤原定家は現代では、祀られていた。しかし東京都内に藤原定家の影はない。
——東京大学。茶色に建ちうしろにもくもくと入道雲がひろがってゆく。
戦争
ものごとの分別がつかない、これは六花だけではない。
悲惨な経験をしたかたにたいして、それをわかろうともしない態度は、幼いしまず恥ずかしいことです。
大阪国際平和センター ピースおおさかへいきました。展示のながれは、日本はいかに戦争へ突入したのかからはじまります。
日本の外交史といってもいい。あの状況下では戦争は避けられなかったかもしれません。
大きな状況の変化は兵器です。大量に殺戮ができてしまう機械をつくれるようになってしまった。
ぼくとしては、大阪の暮らしをよくわかっているわけです。木造の建物がいかに居心地がよいのか、いかに穏やかに過ごせていたのかを、だからでしょうね。だから、いつも通りに床についてて、そのまま丸焼けになってしまった。
ピースとピースがつながるように、いままで見聞きしたり、書いてきたことが絵になっている。それは、『人間』という題の作品です。
惨たらしさや焼ける痛みや飢えなど、すっかりなかったことになって、平和な日本ということになってしまっている。
ミリタリ趣味のあなたならばよくご存知で、P-51 マスタングという飛行機は、硫黄島を基地に大阪へ飛んできていました。
工廠へ向けられた機関銃で貫かれた、緑の服があり、服には貫かれた穴があいていました。即死だったのでしょう、旅館で働いていたそうです。あなたはコートを着たことはあるでしょうけれど厚みは同じくらいです。
救かるわけがないです。殺傷、いや殺戮するために、緻密に設計された計画と兵器なのですから。家には防空壕が掘られてあり、すぐに退避はできました。体験者の記録によれば、防空壕は崩れおち、火炎にむきだしにさらされ、かけだしたたものは、即座にふきとばされたのです。 空襲のようすを描いた絵には、焼夷弾の中にはいっているエタノールが、撒き散らされ木材へ引火し大火災のなか水をもとめて丸焦げになっている作品がありました。一〇円玉を握れば硬貨の丈夫さはわかるでしょう。当時も硬貨は銅製で、空襲後に融けていたんです。銅は融点1,085°Cです。
発熱
熱にうなされていました。けずられている鰹のきもちがわかるくらい、内臓が痛いです。
痛みが持続しても慣れはきませんね。
それで、昨日から寝こんでいました。
こんなときに考えるのは病気で苦しんで死んでいく患者のかたです。
だからといって、泣きたいわけではない(涙脆くなるけれど)。
ぼくは、病気をモチーフにした感動ものドラマは苦手です。だって陰気ですもの。できるなら笑っていたい。
考えられるのは、
『猫ひっかき病』
猫に引っかかれた傷口から感染します。発熱、食欲不振、傷ぐちが炎症。
(詳しく調べたわけではありません)
秋になり、気温は低下しましたね。乾燥してきました。状況を放置すれば倦怠感や微熱、咽喉痛といった症状に悩まされ続ける事になになります。加湿器で湿度をあげ空気を濡らしましょう。暖房をつけ二〇度以上を維持するといいらしいです。
体力をつけるぞ‼︎。マア、ともかく今日は診察を受けに行きます。
カドカワ
どういうこったさくらい、まるで意味がわからない。逆に質問したくある。平明なテクストを見て面白いのか、と。
ヲタクたるものは二回目に読み返したときも、観賞に値するかを意図して作品をつくるものだと思っておりました。
週刊誌は大量に描かれた時代が長く、クオリティが高いものを見たい層、、、マイナー層を相手に隙間産業をしてきました。作品を立派なものにしたい。読み捨て週刊誌は好き。
ぼくは、芸術品としてものをあつかっていて、簡単! 早い! 面白い! は原則ではない。
作家が内輪に呼び捨てるのは同じだからです。いつしか敬称「先生」がみかけなくなってきたように思えた。あれはわざわざつけて、一歩さがるためにあったのです。
実感は週刊誌の時代は予想の通り衰えをみせています。まだ一部は熱いようですけれど、すこしずつ質を重視していくのではないでしょうか。
カドカワについては、クレームをいれてどうだと誇らしげになるべきではない。誰かのチカラをあてにすべき時代ではない。みずから監督へ「直接依頼」をはたらきかけて、お金を集めつくっていけばいい。
臆病ものではありませんか。タップして、あるいはキーボードを叩いて、待っていて「次回」があるとは、おそろしいことです。
『けものフレンズ』の権利をもつのは誰かをはっきりさせてはいかがでしょう。それは、キャラクターは吉崎観音だし、アニメはたつきでしょう。両方にうなづいてもらえれば、次回をつくれます。
たつき監督版と他をいろいろつくればいいだけなのです。
最期の孤高
被害者になりたがりな自分がいやだ。
だいたい、孤高を決め込むなら自らの傷に注意をおこたるな。現在、ふらふらしとります。
体調がわるい。
怪物として生きるざるを得ないものへ。街へいけば崩壊。さがす旅路は最中である。
社会と憎しみをわかったところで、いまだ怪物な自分の生きる道はわからない。
呪われた道であるとはわかりきっている。
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孤高な人々は世界中にごったがえし祖国はなく家も名前もない。王をもたず国をもたず、いや、、、その祖国すらしらない孤高の怪物。世界中にごったがえし旅路を行く怪物よ。
ストレス社会
“人は最後の最後に自分の良心に問う。自分というものを、善悪を、自分の生き方を。自分の人生を決める、いや何か有無を言わせぬ力でもって決めさせられるかのような究極の心の場所、それが良心である。心のどこかで良心が響く、すると我々はそれに従う他ないのである。”
あなたは貧困なり。
一食を二百円以下にすべき。
レバニラ炒めは二百円以下。温めれば食欲がみなぎる。
食欲ありこそ命。
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テキパキと仕事を終えゆく頭はどう動いているのか。
六花
で、でも。わたしは、聞いてもらいたくて、でも言えなかった、、、。ごめんなさい。
あ‼︎ そうだ、今度ですね、海遊館へいきましょうよ。チケットあるのです😚
百華
(海遊館 チケット有り)
六花は思考が二転三転せり。
百華は教狐(キョウコ)が何匹もいる。処世術として事実のみを使う思考といえる。ぼく? さくらい本人は悩みまくりですよ😰
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精密な思考こそ偉大などとは芸術が育たない理由になる。
大地に立つ、空気に包まれ偉大な宇宙と素直な気持ちで一体となる。わたしは宇宙と同じであり、塵にすぎず、塵は宇宙と同じである。
芸術家は自然こそ師とする。
脳から解説したならば、右脳ははちゃめちゃな思考である。
はちゃめちゃ思考こそ偉大なのだ。右脳は精子と卵子からしかできておらずすべて天才の素質があるからである。とはいえはちゃめちゃ思考に任せるわけにもいかず緻密な思考は(あえてこのいいかた)左脳にまかせる。
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絵をみせてもわからない、という人がいる。
悪業! は「文字に起こさなければわからないのかやれやれだぜ」と、呆れからスタートしました。クドイくらい言葉は塗り重ねて言いまわしやらを工夫しなかば説得させたい想いに駆られながら書いてきました。
精密な思考では掴むことはできない、と確信した自信ではじめました。今尚、揺いでいません。
よし掴みきった! と、スルスルさっていく。なんだ、あれは?。
びっくりなのは、自分で自分へ暗示をかけることが、ぼくにはできる。そのための脳をつくるところからはじめました。
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走ります。健康体を維持します。礼儀正しくありつづけ主人公と同じくらいひとを疑いません。最近はなわとびをはじめてみました。
悩みつづけ苦しみ悶え、大阪を歩きまわり見て聞いて触って食べて感動した素直に嬉しい気持ちを、大切にしてきました。
山ほどある文献はもう捨てました。
戦争を知らない世代にとって、世界は儚く脆いものだと、絶対に言いきれるまでになるには、どうすればいいかを求めてきました。
転機となったのは、寺でひたすら寝たことです。
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いったいぼくはなにを悩んでいたのか、わからなくなり放棄しました。
社会はどういった仕組みなのかよりも人間はなぜ悩むのかを考えてきたといってもよいかもしれません。
素直になれない気持ちこそが、自らが自らを否定していることだと感じました。
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バランスをとるために社会システムを導入しました。これはこれで骨が折れる作業なのですが…………。
ところがだんだん社会は理想を求めはじめてきました、けもフレは計算外だった。つらい現実からのがれようと美しく優しい世界を求める動きはわかりきっています。優しい世界は革命精神へ接続されることもわかりきっていました。
理想とはひとつの神。唯一の絶対でありますゆえ、つぎには絶対を振り下ろす暴力がくるのです。
ツイッターにおいて治安がわるくなったこともわかりきっています。似たものが集まるようにひとはできているのです。
はじめフレンズとしてあてまるけれど内実は似てないひともいて、ぶつかりあいはじめて、イライラします。
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スマートフォンには、中毒などはないのです。ほかのサイトは荒れていませんよ。ツイッターは愚痴にイライラしたものが、さらに愚痴を、といった具合にイライラが連鎖していったのです。
陰気な思考が流れイライラしたアカウントは陰気な思考を流がし地獄が爆誕します。
その鬼みたいな渦を観察してきました。
「やってあげたのに、やってもらっていない」など、また「こうすればよくなる」でも変わりません。
ネットは便利です。便利ゆえに渦に呑み込まれやすい。
頭がよいとみなされていたかたでさえ疲れている。それはね。渦にいるからです。冷静な思考はあんしんしてみたされたしあわせよりうまれてきます。
サーバルの仔を天に抱き上げるカバン。
太陽は永遠のとき、命は巡る。
夕暮れのサバンナ、百獣の王となれ。
少女は静かにつぶやく。
サバンナ、熱帯の大地に立つ少女こそ、カバンだ。