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さくららい制作日記

こころと創作について

物語ははじまった

この度、なぜブログなんかを始めたのかを簡潔に説明します。

日常における怠惰が原因でマンガやイラストなどの制作が滞ってしまい、このままではいけないという危機意識がありました。

平面、あるいは文字を駆使して表現をしている芸術家(自称)としてまったく別の分野に興味を示して邁進していくことに疑問を抱き始めたのです。

例えば、「制作して作品を遺したとしても、膨大な数の中で埋もれていつか消えてゆく」というような身も蓋もないニヒリズムにも似た発言をするようになりました。

だから、ただ生命活動を維持していくことこそがすべてであり、わざわざ苦労して芸術の生産活動をするのはバカバカしい……と考えつくのは自然なことでしょう。

ところが、私のメンタルは一般労働と不適合であることが十二分にわかってきてそれからは「生まれて動きだした列車は死に向かう」ということがブラックジャックの“人生という名のSL”に影響受けたのかは知りませんが、ならば途中の駅で下車して楽しもうと悲観の中から楽観をみつけるようになりました。そう、楽しみながら制作しようと決意したのです。だから好きなものを描き、好きなように生きようと思います。f:id:sakurarai:20150105121841j:plain

そんでもって、イメージスケッチを描いておりました。ラフですがケモ百合の漫画を描こうとしたものです。

多くの商業を考える若者と違い、特殊な環境で特殊に育った私は彼らと考えが違うようです。特に日本で一番売れているマンガ雑誌「週間少年ジャンプ」が嫌いで、次に「週間少年マガジン」も嫌いなのです。

プロフィールにも書いておりますが、モットーに“反大衆”があり、とくにこのあたりがよく現れていると思います。

百合に没頭している訳でもないですが、かなり好きなジャンルです。それは「自身の男性性との葛藤」があるかもしれません。男性はむしろ私にとって関わり安く、ゲイなどにも寛容なのですがDQNなどに対する嫌悪感から、彼らが好む娯楽を受け付けなくなったのかもしれません。このラフ画はそれがよく現れています。

少女……それも人ではなきケモノ。男性がシャットアウトされた空間にボーイッシュな美少女と虚ろな汚れた娘。これこそ私の理想の世界なのです。勘違いのないように、もう一度書きますが私は男が嫌いでも苦手でもありません。DQNのもつオーラが苦手なのです。

それは例えば、女性にモテるために金髪に染めてワックスつけたり、すぐ怒鳴ったり、礼儀がなくてコンビニの前で飯を食い散らかしたり。

だから彼らが好むONE PIECEなんてもっての他なのです。

“反知性”もモットーの一つですが、もちろん彼らも当てはまります。では、なぜ反知性を掲げているかというと、それが人間の本質だからです。「人間は無知のまま生まれ無知のまま死ぬ」自分の言葉で悪いのですが、本当にそう思ってます。インテリ系のアカデミズムの学生の中に知性崇拝主義者がいますが、彼らは間違っているのです。知識は絶対的には得ることができない。

得ているのは“情報”という掴み所のない幽霊です。

つまり、DQNも嫌いだしインテリ(の中の知性崇拝者)も嫌いということですが、彼らの中にも面白い一人がいます。どういった人か、それは“エンターテイナー”です。人のために、一生懸命になることで儚い現世を楽しませてくれます。

それこそ、真の知性であって愛であると私は考えます。

その面白いことを私は私自身のために追い求めていきます。

さらに、もう一つのモットー“反現実”

これは、虚構は現実に勝るほどの力をもっているということ。若い私は海外に淡い幻想を抱いています。ヨーロッパの建築、中央アジアの建築など美しいと思わざるおえません。旅費をもっていないので、想像で世界を冒険しているのですが、きっと現実には治安や衛生やらで問題も多いでしょう。想像の中だけが、美しい理想の世界なのです。より想像に近い世界、日本では春に桜が咲いた頃の倉敷などがそれでした。

その風景を体感したとき、現実が想像を掻き立てました。想像の美しさが、現実をさらに美しくしたのです。ファンタジーの世界ではそんな掻き立てるような幻想・夢想が気ままに行われます。それが私にとって一番大切なことだったのです。ラフ画は西洋、特に北ヨーロッパへの憧れで描きました。そこにワインをもった貧乏人がいて、お金でその娘を買おうとする掃除屋さんがいます。このロマンは決して現実感ではありません。空想です。ファンタジーです。

脳内で構築された世界なので、現実にあったら悲惨な状況でしょう。

マンガの世界だから許される世界、そういったものも研究テーマです。

この絵を遥かに上回る異常空間も多々登場するでしょう。リョナだったり、状態変化だったり。そういった異常を生みだせるのはやっぱり、現実感よりファンタジーなんだと考えます。つまり可愛いものとキチガイ妄想が融合しているわけです。

ヘルマンヘッセの言葉にこんなものがあります。

“どんなに遠い夢を見ても、君自身が信じてる限りそれは手の届くところにある”

きっと励ます言葉でしょうが、私は上記のことを思います。キチガイ妄想は手の届くところにあると……。

私の思考は飛躍と破綻です。

それが私(著者)のマンガ制作の裏側の一つです。

さて、1日目から長文になってしまいました。

漫画を描く人の中には変人もいるんだよー

とわかってくれたら幸いです。何もジャンプやマガジンがすべてじゃないということです。

それでは、次回の更新まで!