適度な危機意識
ヨーロッパ史をいろいろ調べたら20世紀のあの陰惨な戦争に行き着いた。
当然といえば、当然ではあるけれどその歴史について考えていてイラストを描いてみた。
ここは オラドゥール=シュル=グラヌという南フランスの田舎町である。
詳しくは書かないのだが、ドイツ軍の攻撃により住民はほぼ全員殺され、街は壊滅した。
現在もその悲惨な出来事を伝えるために廃墟のまま遺されている。
起きてはならない悪夢が、世界を覆った時代。もし我々がそんな時に生きていたなら何ができただろうか?。
こういった現実の悲劇や歴史もいつか作品にしたいです。
話変わって、猫カフェにいってきたことを書く。
猫というのは純然たるエゴイストで、それ故に恩は返さないが仇も返さない生き物だ。
そこがなんとも人間と違っていい。
猫カフェは一時間700円というやや高め。
でも、人はわりときててやっぱり癒しが欲しいんだろなぁ……とみんなから感じた。
雰囲気は動物版の老人ホームか保育所でまったりしてて、時間の進みが相対性理論のごとく遅かった(意味不明)
柔らかくてモフモフなのだが、こいつらの正体は「毛」であって断じて肉ではない。
だから、触り心地はまさしく「毛」であった。
それから道頓堀の方へ電車で向かい、松竹座(しょうちくざ)のあたりを歩いた。ガヤガヤした繁華街なのであるが変わった建物が多くて楽しませてくれる。
道頓堀からほど近い場所にヨーロッパ通りという石畳の道があり、そこを歩いたのだが全然ヨーロッパ風の建物がなくて草生えた。
ヨーロッパ通りを抜けるとアメリカ村なのだが、こちらは確かにアメリカっぽい。
ハンバーガー屋があったり、カジュアル?な服屋があったりと楽しめたが村と呼べるほどでかくはない。
また来たい。アメリカ料理とかアメリカ文化だとか昔は苦手だったけど、いつしか本当に好きになった。
あの不健康そうな料理、あれがたまらない。
不健康なイメージに引き寄せられているのだろう。といっても、理性は健康志向なのでヨーグルト飲料を毎日飲んでたりするのだが。
食事について作中の登場人物には飲食シーンを入れたいと思っていて、それは食べる=生きるという生へのアンチテーゼとともに著者の複雑な思いまで伝える手段になっているからだと考えている。
近くのバーみたいなお店でオレンジとジンを混ぜたお酒を呑んだ。
味は殆どオレンジジュースだったけど、仄かにジンの香りがした。メチルアルコールには強いので酔いはしないけど思考が柔らかくなった気がした。パンケーキ380円はぼったくりだけど、味は甘くて美味しかった。
お酒の話題もあって、キャバクラで素性も知らない女の子と多額のお金を払って会話するの何かの訓練か〜みたいな話をしていたらもう外は真っ暗だった。
自分の中に焦りがあって、それは作品制作のことだけでなく生きていることに対して感じる感覚なのでちゃんと精一杯生きようと思わずにはいられなかった……。
いや、まだ全然若僧ではあるが。
この日、制作をコツコツやると決意した。
たまに外出すると新しい考えのようなものが浮かんで、精神衛生上良い。
それでは、本日はここまでです。
次回の更新まで!