義務と自由
なぜ?を突き詰めていけば誰もがいつか答えられなくなる。これは懐疑主義の考え方だ。
例えを考えた。
〜なぜなに質問コーナー〜
ガキ「どうして勉強しなきゃいけないんですか?」博士「全てのことは疑わしく、我々はなに一つ確実に知ることはできない」ガキ「懐疑主義者かよ」
数学にしろ哲学にしろ“絶対”なる確証は得られないというのである。
だからといって思考を止めてしまうのはよくないかも知れない。
むしろ、疑い続け考え続けよ、とか神が仕組んでいるとも僕は考える。
それと義務と自由について発言した。
⑴ 義務に対してルールを守ったり、社会にある倫理的規範を守ることが正しいことは明瞭だが(ホントかよ)自分の義務がなんであるかは議論の余地があるらしい。
アリストテレスの研究をしてたW・D・ロスの話。
⑵自由(権利)を守るための義務って前提を置くと……。故に義務には必然性と普遍的価値観の共有が必然になる。
古代では宗教が倫理観の補完として役目を果たしたわけだが。
⑶現代に於いても性的ジェンダーやマイノリティーだってこの義務と自由の問題の範疇にある。
これらは浅学で安易な思考を思わしむるかも知れないが、何かしろの学ぶきっかけになれば嬉しい。
コピックの色が足りない。オリジナルキャラクターです。
渚にて。
帰り道。
アルフォンスミュシャのブックマーカーが届いた。光にあたるとキラキラ輝いて、とても綺麗。
快楽という言葉を使うべきか、選好という言葉を使うべきかを考えていたが選好と言いだしたら功利主義者みたいだと思う。
それでは次回の更新まで!