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さくららい制作日記

こころと創作について

マンガ論-空間になる

現代のマンガではある概念が問題になっている。

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図はカメラが空気と化しているイメージ。


その具体的な悩みどころの一つ横顔で、それは映画的な真横の構図と、マンガ的な記号表現がごちゃ混ぜになっている事だ。

これらは理屈で見ていくと違和感あるが、マンガの構図的にはアリなのが厄介だ。

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この図で上は立体的だが、下はマンガ的な平面。

端的に言えば立体の概念があるかどうか。今のマンガって平面と立体が入り混じっているのだ。

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この図は、僕が理想的だと考えている構図と演出。


良くあるマンガでは、カメラ目線というか“カメラの前では笑顔になりましょう”とか“カメラがそこにありますよ”という構図や演出が多い。

マンガとしての“三人称神視点”がなんなのか考えていくと、その世界の“空気”になることかなとは考えている。

それは映画でいうとぽんぽこなのだけれど、別にぽんぽこみたいな作品を制作したいわけではない(ナレーションや概説も“私”ではないが“私”として捉えることもできる)。

そして、マンガの伝わりやすさやコケティッシュな演出を混ぜていくなら、コマぶち抜きとかオノマトペが役割を果たすと思う。

さらに、オノマトペが単語として次元を繋げる意味と体験的な感覚を呼び起こすのはふしぎなことなのだ。

 この問題は、もっと深く突き詰められそうだ。というのは人間はマンガに錯覚しているのかということ。だとしたら、ふしぎ。

どこに繋がっているのだろう。



それでは次回の更新まで!。