安定剤と創作活動
ネームを半分まで描き進めた頃、異変が起きた。
内なる平安と安らぎ、その森は爆撃を受けたかのように荒廃し枯れる感覚を憶える。
脚本もある、意欲もある。だけど何故だか描けない。いや、それどころじゃなくなった。
寝床から這い上がることすら困難になっていた。
「メガネを外してウインク」
大体、僕が何を描いたって、面白がる人なんて早々いないじゃないか。
そんな考えが、何度もリピートして拭えない。
これは知っている。焦燥感って名前を付けられた不安だ。
そしてこれが、単なるホルモンバランスの秩序が乱れたことだと、僕は絶対の確信があった。
…………。
一コマも描けなくなった。
この状態で遺そうたって、病跡学の範疇に収められるだけだ。
死のう、とすら思った。
でもそれは恥ずかしいことだ。まだまだ未熟なインターネット・作家モドキが自殺?だれが憐れむというのさ。
ふしぎに生きる道が生まれてきて、いつもここで踏みとどまる。これは自己愛(ナルシズム)やか。
それから、注意換気されている飲酒もした。
効果を助長させるらしい。
その夜は、快復をまるでクリスマスに少年がプレゼントを希うが如く眠った。
「messy」
目覚めてあたりを確認する。昨晩と同じ風景、同じ肉体。だが、違った。
何もかもが美しくみえる。
安定している……情動が安定していた。
おにぎりを買いに行き、朝食を摂り、読書をする。こんな当たり前のことを当たり前に熟ることに、どれだけ多幸感が溢れただろう。
ー薬は効く。それも効果覿面だ。
「獣化」
僕は弱くなったと回想する。
ボディビルの鍛錬をしたり、バカをやれた頃より弱体化したのだ。
肉体の強さなんて、見掛けだけだと、きっと嗤っている人もいるであろう。
しかし、それは真実である。
運動をして、筋肉(からだ)が強くなる。その活動の最中でこそ真の幸福があったようだ。
だから、自重トレーニングを再開してみたりしている……マァこのことはブログの趣旨と異なるので控えるが。
多幸感に満ちることと、創作的意欲は繋がっている。
現に安定剤を処方してから、ネット中毒は緩和されたりアニメや小説を愉しむ余裕もできた。この事は創作の肥やしになる。
だから、僕は宣言をしたくなった。
認識こそが世界だと。
それでは次回の更新まで!。