さくららい制作日記

こころと創作について

健全なセカイ

伊藤計劃の『ハーモニー』を観てきた。

梅田のTOHOシネマでチケットを購入して、次の上映までぶらり街を散策した。
hepの観覧車は昔、学校の授業の一環の中で乗ったのだけれど、あまりに怖くて失神しかけたのはいい思い出。大阪には天保山の大観覧車みたいなヤバイやつもあるのだけど、乗ることはないだろう。
阪急32番街の通りは、毎回シャレたモニュメントを展示していて、お気に入りの場所だ。
この梅田という街は、変わった物が多い印象がある。石とか、なんとか飾ってあって、来るたびに発見がある。
僕は上映までの約2時間をミックスジュースを飲んだり、カフェでトーストをいただいたりして潰した。日常で歩くことがめっきりなくなった僕にとって、足が棒になるのは予期できていたが……カーフ(ふくらはぎ)の遅筋が鍛えられたと考えておこう。
映画館の上映前に、客数をちらりと見たけれど、これでいいのかとちと憂慮するほどに少ない。これでぺいできるのかと。
……映画自体は会話が非常に多くよい睡眠剤になりそうだった。そういうの好きだけれど、人を選ぶだろうよ。計劃以降から言われているらしい、所謂新しい人間の生き方(ポストヒューマン)はこういうものなのかなぁ、と感じていた。なんとなく『マーニー』に似た息苦しい世界観といえる。それは百合がテーマだから類似点を見いだしたという面もあるだろうけど。
話としては「医療技術が進歩しすぎて、人間が異常な健全な社会を築いた物語」といったところで、この異常さは作中にずっと重りのようにのしかかっている。極端な時代。
詳しくないけれど、著者曰く女版のタイラー・ダーディン(ブラッド・ピット)だとか。
本というデッドメディアが一番孤独に強いらしい。
多動な僕には無理な話だけれど(それでもわりと読んでいる方だ)。

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新作案①
『フューチャー・ワールド』
SFをテーマにした遊園地でショーの海賊の役をやっていた、狐娘パティーとブリキ製人形のアーサー。しかし突然、廃園を知らされる。廃園してから7年後、取り残され錆びて動かなくなったアーサーに百合の花束を抱えいったパティーは、閉鎖空間化した遊園地に閉じ込められる。

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近年は作品の評価は人工性の高さであるべきだ、とよく考えている。

それは、芸術という行為が自然への人為作業(人工)だとしているからだ。
たとえば料理は野菜や肉に人為作業を加えるが、漫画や小説もそうであるべきだと。
ただ、出発点は「ファーストインスピレーションで作る」であったし、今もその余韻を残す、誤解を招く表現でいえば、「駄作主義」だったから、出発点から離れてきている。
コロコロ創刊神話をのむらしんぼ先生が描いていた話で、その中にコロコロコミックは当時、箸にも棒にもかからないような、新人の駄作を集めて、まるで石がコロコロしているような雑誌を目指したとあった。
僕もそういう作品が大好きで、ごく初期は漫画の良さをそこに見出していた。
それから綿密な小説作品群を知っていき、変わっていった。次第に混ざりあって、思いつきで考えて、時間をかけて熟考しながら描くというスタイルを今はとるようになっている。
つまり、僕は思いつき人間で、あらゆる要素は積み木みたに積み上げていくことにしているのだが、これは他の漫画を描く人も多少共感できるかもしれない。

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新作案②
『コン視覚セカイ』
彼女は“視て”いる。右目に移植された眼球は人間以外の者を捉えることができる。同族の裏切りに遭い、右目を失った。人間の改造手術を受け、一命をとりとめた彼女は、社会の悪に正義の鉄拳を下す。

これは特撮にあるような設定を換骨奪胎してやろうと考えたもの。『エレクトリックドラゴン80000v 』みたいなヘンテコ作品をやりたいなぁ、と。
特撮について無知だから、観なきゃいけないのだけど、『仮面ライダー ゴースト』を視聴つづけていても、最後まで見れない、やっぱり僕のテンションじゃないよなーとやめてしまう。
特撮ヒーローのテンションにいつもついてけてないのだが…………『ハカイダー』のサブローのテーマは好き。



もちろん、僕にとっても、周りの期待してくれている人のためにも早く連載をとった方がよさそうだけど、なにぶんメンヘラなもんだから創作活動より精神の休養を求めてしまう。だめだなーこれじゃあ。
それで数年ぶりに心療内科へ赴き、長話をした。結局のところ、僕が何に苦しめられているのか、よくわからないという。所属欲を満たすために、どこか通える場所を見つけた方がいいと言われた。どこにもないんだよねぇ、それがさ。
心理士さんによる詳しい分析を勧められて、「いや?」といわれたが、いやじゃなく、むしろ歓迎なのだ。

「嗚咽がするような悪趣味に、ある点から先に染まりにいくと、美しさを感じるんです。嫌いなモノを受け入れてしまうんです。これはどういうことでしょう」
「知るか」
みたいな(実際はもっと静かな対話だったが)。
まぁ、わからないのは当然だと思う。
会話の中で、重要なテーマだったのが、マズローという心理学者の欲望のピラミッドで、それをうまく登るといいみたい。つまり、所属しろというわけ。
映画を観にいったりするのは、一時のものだものネェ。しかし大学に戻っても、それもいつか終わりがくる、難しいところ。
新しい人間の生き方という問題は、僕には非常に近い。今の人生観のテーマは個人が孤立したまま生きること。ネット診断の結果はウサギちゃんタイプらしいので、さびしいと死ぬから、孤立は無理だと考える。
「創作活動」も壮大な暇つぶしなのかなー……。
まぁ、解決するためには、なにかしろのアクションが必要だ。



それでは次回の更新まで!。