さくららい制作日記

こころと創作について

漫画を描くとは自己との対話である

ふと美術の教科書を手にとり開いてみた。


なになに、立体造形物をただの視覚的なものだと思っている人は勘違いしている、立体は素材を意識することが大事だ……か。
なるほど、そうやって僕ら人間は目に見えないこと空想することを楽しむからアートが豊かになるわけだ。
そう考えると、人間が暮らしている上では、椅子から電話まで全部アートなんだなぁと感じる。

教科書に木の小物入れの写真か掲載されていた。
そうか、四季や雨量に恵まれた日本だから、育まれてきたアートがあったんだ。

こういった再発見は面白い。

読んでいくと、いろいろ為になることが書かれており勉強になる。
西洋と東洋で違うことがある、それは絵で人々の物語を表現することを、西洋では壁画や絵画に、東洋では絵巻になった。
なるほど、にゃるぽど。
そして今、東洋の絵巻は漫画になった。

教科書によると、美術家は単に美しいものをつくり出そうとしているのではなく、作品に自分の生き方や感情を表すことを大切にしているそうだ。目の前のものを忠実に描くものだけが優れているのではないらしい。生きることへの思いを汲み取れるように描くことが大切な課題なのだろう。
漫画も同じ部分があると思う。

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このところ、なんとな〜く武道の構えみたいなイラストをたくさん描いていた。

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モンハンの新作にでてくる、ネコ嬢さんが可愛すぎる〜。

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僕は喫煙者じゃないですが。

現在ネームはまだだけど、脚本やプロットは山になってきた。


そうそう、この頃よく考える話をすると……。
世界を変えるより、自分を変えろとはいうが、自己改造って容易くないよね。
要するに「音楽をわかるようになれ!」と言われても、実際に音楽のことを深く理解するには経験と時間がいる。
そういった時間が人生観に影響を与えて自己改造が完了すると思うのだ。
僕は40分以上は座っているのが困難で、そのことでよく悩むのだが。
たとえば肉体的には足を組むから、姿勢が歪むし、精神的には焦るから背景とか描けない(整体いかなきゃ心療内科いかなきゃ)。
素晴らしい作品(特に長編になってくると)を創造するには、やはり手間と体力がいるのだと実感している、特に漫画と小説はそうなのだ。

自己表現するために漫画を描く、なるほど良いと思った。創作するために自己改造をする、それはなんと素晴らしいのだろうか。

それでは次回の更新まで!。