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さくららい制作日記

こころと創作について

プラトニックな死

すこし遅くなりましたが、

あけましておめでとうございます。

2016年……。

いい年になるといいですね。

今年はもっとストイックな態度で漫画に望みたい!。

賞をとったりして、海外旅行をするのが今のところの夢(頑張れば実現可能だ、届く範囲の夢を持つことが活力を生む)。



さてさて、去年から正月にかけて描いた絵です。

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褐色って好きなんですが、ライトグリーンの髪とけっこう合いますよね?。

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ミーミルとは巨大な都市のことである。
南西と北西があり、南西にはミミナガ族キツネタイプが住み北西にはミミナガ族ウサギタイプが住む。500年戦争を続けており、中部には巨大な壁が築かれている。
移動手段はもっぱら舟と呼ばれる飛行車両。
そこからの風景。上の絵の説明。

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とある星から。

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喧嘩はやめて!。

寅さんを観ていて描きたくなった一枚。

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建物の絵です。こういう落ち着いた民家が大好き。

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《もう一人の姫》という獣化? するキャラクター。


 イラストはこんな感じでした。

本題に入ります。

ちょっと考えたこと。


家族におじいちゃんやおばあちゃんがいる人は想像できたと思うけれど、子供時代に感じていた死の予感が現実になるときは、大抵おじいちゃんかおばあちゃんが原因だったりするよね。
うちのおばあちゃんも90越えていて、いずれ遠くない未来に死ぬ。
いつか消える身近な存在を感じて生きると、こわいもの。
自分なり他者の死の予感を感じつつ生きていく。
いなくなったあとはどうだろうと考えてみても、あんまりさみしさはない。
ただ、漠然とした死へのおそれがあるばかりだ。 

臨死体験 と 脳科学 : 立花 隆の探求の旅を観ていた。

まぁ簡単にまとめると「人は死の間際不思議な体験をする」という謎を調べていく番組で、面白かったのが神様を信じる人に科学者が「あなた方は愛されています、何も心配いりません」といっていたところ。
ペテンかもしれない、でも安らぎがある。
発言した科学者ってのが、また著名な人らしく、自身の脳が細菌に冒されて臨死体験をしたみたいで、脳が活動していないのに不思議な体験をしたというんだ。
で、本当に臨死体験中に脳は動いていないのか? を調べて行くと、どうやらそうじゃないかもしれないとわかる。
じゃあ意識とは何かと、調べていくと意識は脳内の膨大な神経細胞によって生まれるということがわかる。
ということで、もしかしたら臨死体験は神様の導きではなく、脳の働きかもしれない。
締めくくり的には、「人間の平穏を乱すことは死について想念、頭の中で巡らせること」だと語られていた。
死についてあれこれ恐怖することは誰でもするだろう。
ロボットが心を持つ日は遠くないかもしれない。
人間は心を持つロボットがスクラップにされる様子に悲しめるだろうか。
言語を介し、親しくしていたロボットが、工場でモノとしてスクラップされるなら、心もモノなのかと感じるだろうか。
火の鳥 復活篇でもあったが、ロボットのボタンを押したら笑う、泣く、みたいな感情をコントロールできるかもしれない。
あのラストで肉体が一緒になった場合は肉体的な死が、精神が一緒になった場合は精神の死が描かれていて、すごいなと思った。

そのロビタが死んだ理由は「人間として扱ってくれなかった」からななんだよ。

それでは次回の更新まで!。