さくららい制作日記

こころと創作について

ルルとミミからhelckの話。

今回はちょっと長いので、先に絵を紹介。

ここだけ見てくれても構わない。

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ユーラシア大陸内陸にある砂漠。

背景の色と合わせるのは難しいのよ。

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これはワンドロ。狐のメイドさんは個人的に可愛く描けた。 モンエナでブーストかけたから、この時はやる気満々。あとでつらくなるんだけれど……。

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試し書きで描いた絵。かなり素の画風。

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メーテルと鉄郎。

全然世代じゃないんだけれどね。

結構前に深夜の再放送していて観ていた。たしかスケッチブックと同じ時刻で、どっちを観るか悩んだ記憶がある。

そうそう、画材屋で買った水色のシャーペンの芯はかなり気に入った。ペン入れがこんなにしやすいなんてー。



SF欲から、アクション欲、そしてファンタジー欲とだいたいグルグルまわっている。

今はファンタジー欲が強い。

きっかけとなったのは夢野久作の『ルルとミミ』というおとぎ話。続いて同著者の『オシャベリ姫』も面白い。

児童文学なのだが、著者らしい狂気がちゃんと現れている。

これは青空で読んで、素晴らしいなと思った、著者はドグラ・マグラなどで有名だ。

すごく短いので是非読んで貰いたい。

漫画のネタにもなりうるだろう(正直なところ、ちょっと古臭いが仕方あるまい)。


これは夢と現実というか、「あっちの世界」の出来事が現実では自殺として扱われる(つまりミミの妄想にすぎないと)、異世界転生ものとして読める(異世界転生した主人公も他者からはトラックに撥ねられて死んだように見えるのと同じように)。

だが、現実として読み続けることができる、パパは世間体によって自殺し、ルルは責任感によって自殺し、ミミは兄であるルルへの想いによって自殺した、と。

これはメルヘンでもなんでもない。現代へそのまま変換できる物語なのだ。

また、ミミは年齢が一番幼いだろうし、切り絵連載だったことを考えれば、それもうなづける。

ルルとミミなんて名前だけれど、日本が舞台として考えてもよいくらい、日本人の臭いがするキャラ達。

舞台設定は違うかもしれないが……なんでかというと、まぁ僕も物語を描くのでわかるのだが、異国の生活なぞ日本に暮らしながら書けるものかと。

美しいのはミミの妄想で、実は一枚めくれば過酷な現実があらわになる残酷な物語なのだよ。

児童文学といえば、『オズの魔法使い』のまえがきでライマン・フランク・ボーンが教訓とかではない、純粋に楽しめる作品を書きたかったと書いている。グリム童話なんかは教訓の典型例だ。

よく古い人はメッセージがどうこう、とかテーマがどうこうと語りたがる。

それは、そういう国語教育を受けてきたからだろう。だが、今やそれは古い(前にも書いたが、僕はテーマを立てる制作方法を肯定している多い古臭い人だ)。

話は少し飛んでしまうが、ズートピアのポスターは、豪華なラブホだけで街を築いましたよ、みたいな雰囲気が感じられた。

そもそもディズニー城はお城型ラブホを豪華にしたイメージなのだが……(ディズニーランドもシーも行ったことがないので、写真やCGのイメージ)。

モデルはご存知の方も多いと思うが、ノイシュヴァンシュタイン城だ。アメリカ人の夢を安く買ってきた日本にとって夢のシンボル。

建築として特異で好きだが、ラブホみたいで(お城型ラブホは昭和の個性だ)。

ただ、あの様に塗装にピンクとか屋根に青ってのは、侘び寂びを愛した日本人に向いているのかなって思ったりもするのだが……。

豪華なラブホやそれに似た建築は(ハリボテなんだけどね)、なんとなく退廃的でうら寂しいし、そこを宮崎駿千と千尋で突いた。

ど田舎にもある、ラブホ。あの安っぽいファンタジーは寧ろ芸術だ。こうなると、決まって金髪のお姫様がでてくる。それで笑える。そんな世界も好きだ。

日本人にとって、ファンタジーの古典ってなによ? となると、まずゲームからが大きい、ドラクエとFFとか(これでもお姫様を救う、みたいなのは随分減ったのだが)。

日本のファンタジーのルーツってなによ、って考えていく。宮崎駿は冒険小説の宝島はゲームに使い尽くされたと書いている。

RPGを辿れば冒険小説なんだろう。

だから、ルーツはそこらへんにあるんじゃないかな。

漫画を描いてる人はゲームからの影響が多々見られる印象がある。

近年、すごくゲームファンタジー(魔王を倒す、レベルの概念がある)が浸透してきた。

『魔王勇者』『盾の勇者の成り上がり』

そして僕が最近ハマっている『helck』だ。

これは漫画なのだが、勇者がいて魔王がいて、とベタな設定を前提に独自の世界観が構築されている。ギャグ漫画の色が強いが、3巻の折り返しにストーリー漫画です、と書いてある。

ネットの感想を読むと、やや古いと感じている人もいる。確かに画風は90年代あたりの少年漫画感がある。そこがいいのだよ、そこが。

とにかくヴァミリオという赤髪で絶壁の女の子が可愛い。主人はタイトル通りヘルクというムキムキなのだが、ヘルクとの恋愛にはならなさそうで、なりそうでという微妙な空気がたまらなく萌える。

ゲームシステムを持たせるために、冒険小説に魔力やレベルを持たせたのがドラクエだ。

いわゆる、おとぎ話は想いを叶えることが魔法であったり、童話的に呪いが魔法であったりとMPが云々じゃない。

このhelckはゲームファンタジーなので、レベルが表示されたり、魔力の概念があったりする。

ところで、人外と人間が暮らす国……みたいな昔のファンタジーみたいな設定が好きなのよ(helckの世界では人間は弱小民族で小国で暮らしている)。

そんなのありえないのだけれど。 

人間の社会は人間のために構築された結界みたいなもの。

法律も政治も人間がベース。そこに獣人やらドラゴン系が仲良く住めると思えない。

人間のエゴに苦しむだろう。

それに、人外が人間と同じ嗜好のものを食べるとも思えない。

やはり、ゼルダ型で考えて、棲みわけるのが妥当だと思う。

この国で暮らすには多数派の意見や生活に従って貰いますよ。そんなのは世界にありふれた考えなのだ(人間同士だとしても)。

理想主義者はずっとその考えを打ち破れずにいるし、ユートピアなんてどこにもない。

ファンタジーはいろいろとマイノリティを包括してしまうのだが、それはそんな成因がある。性やら戦争やら。

それは醜い部分として現れやすい。

だが、醜い部分は見せませんよ、とディズニーはその辺にすごい気を使っているのがわかると思う。

日本の漫画やアニメはやっぱり、どこかで現実の臭さがでてしまっている。

何が書きたいかというと、現実に寄せていくファンタジーが行き着く先だよ。別に日本のファンタジー群を否定しようなんて書いていない。

どこまでも救いのないペシニズムなファンタジーも読んでみたいくらいだ……(ファンタジーの設定を19世紀のフランスなんかに寄せていくと、やっぱ日本の方が幸せじゃん? とか言い出す人がいそうだ)。

“やっぱ現実の方が幸せじゃん”は夢において禁句だ。

もう一つ、『姫さまは退屈を知らない』面白いので是非。

個人的な性趣向の話。

僕はお嬢さま・お姫さま萌え(清楚系と高飛車系)なのだ、だからファンタジーが好き。

強い女の子に萌えるし(ハートが)、これだけでも僕の趣向がだいぶわかると思う。わかってどうする、って感じだが。

生きるのに懸命な女の子に萌える。




それでは次回の更新まで!。