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さくららい制作日記

こころと創作について

スイートライフの終焉(2)

アナログで描く人にぜひオススメしたいのが、HP プリンター ENVY5640 インクジェット複合機というマシン。

Wi-Fiで印刷&スキャンできるわ、FAXも送れるっぽいので素晴らしい。

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どう、綺麗にスキャンでしるでしょう。

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漫画も。


さて、前回の続き。

 
 小説を書きたいが、あまり読まれないだろうし、そもそも長編小説を完成させれないだろう、だから“長編小説か教養書を書きたい”という小説にした。
あと、これから文字数を稼ぐために露骨に饒舌になると思う。
一応はレ・ミゼラブルの原書じゃない本は読んでいるのだが、原書読まないと始まらない気もするし、少しずつ読み進めよう。たしか青空文庫に転がっていたはず、ただあれは全巻揃ってなかった気もする。
 フランス史では、フランス革命以前をアンシアン・レジーム(旧体制)と呼ぶのだが、それは伝統的な身分制度で第一身分の聖職者と第二身分の貴族が、さまざな特権を持つのに、第三身分の平民は生産して経済を支えていたにもかかわらずに、政治的権利が与えられていないというもの。日本もかつての武士と農民の間で、年貢に苦しみ一揆を起こすことが多々あったため、どうして重要な位置の農民が蔑ろにされるのか、後々詳しく調べていきたい。
 封建制・領土制は当時もうすでに実質的な効果を失っていたが、聖職者と貴族は封建主義的な特権制を絶対王政(強そうな)により支えられていた。そのために王政を打倒すればよかった、といえばそうなるのだろう、現代は打倒するべき見える敵がみえない。封建制という言葉は、マルクスが唱えた奴隷制、封建制、資本主義、社会主義共産主義へ進化する段階の一つという意味。どの文明にもこれは当てはまるとした。ただ国によってその捉え方に違いがある。日本に於いては、仕えることにより土地を保証してもらうこと。
共産主義について詳しく書いていくつもりではある。そしてまず二〇世紀的な貧が超高度生産により一層された今の日本社会が共産主義にランクアップするのかどうか、教授に聞きに行ってみてもいいかもしれない。まぁ簡単に答えられるとはなかなか思えないが。
 国家が搾取するより、個人に搾取された方がいいという方向にシフトしたことの理屈と残念ながら日本は資本主義制で動いている、ということについても課題となりそうだ。日本は民主主義制でありながら、資本主義制でもある。

 売れている作家と売れていない作家がいて、彼らはどちらも商売で利益をあげているのだから資本主義。民主主義だからこそ資本主義だと言えると思う。
フランス史についての歴史的な知識は、主に専門の本に任せて、僕はちょこっと触れるだけでいいかな、と思ってきた。だから、芸術文化はどうだったのか、当時の画家などについても書いていこう。フランスの文筆家、医師、教授などのエリート層は旧制度の矛盾に批判的だった。サンキュロットと呼ばれる貴族が履いているようなキュロットを履かない人々は、大多数は農民であって、聖職者・貴族は人口の二パーセントほどだった。サンキュロットは革命期に急進的な行動を示した。
 調べて知れば知るほどにロマン溢れるイメージから遠ざかっていく。切実で血と泥の生臭い、吐き気を催すような出来事だ。自由のアマゾンヌ、革命のアマゾンヌことテロワーニュ・ド・メリクールは継母のもとでの不幸な牛飼いの少女、後に娼婦となり、そして男装(白・黒・深緑の乗馬服)の麗人であったが、ジロンド派とされ国民公会前で下町の女性から服を引き裂かれ裸体にされて暴行をうけて、革命の舞台から消える。
 革命の舞台から消えたテロワーニュ・ド・メリクールはどうなったこというと、発狂して精神病院を転々とたらい回しにされて、サルペトリエール療養所にてひっそりと息を引き取った。裸にされて暴行されたから精神病になったとは僕には思えないし、そもそもどんな症状だっかた今ではわからない。
さっきロマンがないと書いたが、フランス革命期に活躍した男装の麗人とえばなんか萌えるのは僕だけかしらん。
テロワーニュ・ド・メリクールの他にも、フェルニッグ姉妹、マネット・ボヌールといった男装の麗人がいる。これに(涙の乙女 大西巷一短編集 (アクションコミックス) 大西巷一 )「男装の殺人鬼 マネット・ボヌール」が載っているのだが、男という生き物に復讐するために、っていう昼ドラみたいな理由で男装してル。ホテルで眠り薬入りのワインを呑ませあと、ハンマーで撲殺するという……アリジゴクみたいな、なんていうかなア。
 テロワーニュ・ド・メリクールの肖像画はサルペトリエールで描かれたものだと思われている。つまり精神(梅毒によるものだろうか)を病んだ後ということになる。彼女はリエージュ人で、丸い顔なのはその特徴だとか。

 

 ワロンについて、聞きなれない言葉だろうと思うので、詳しく書いておく。ワロンはベルギーの連邦構成主体の三つ地域で他に、ブリュッセル首都圏地域、フランデレン地域がある。公用語はフランス語とドイツ語。ベルギーとフランスは、TGVで一時間半で結ぶことができる。
話があちこち跳躍しているが、あまり気にしないで進める。
 ワロン地域はさらにエノー州、ナミュール州、ブラバン・ワロン州リエージュ州、リュクサンブール州に別れている。リエージュは現在のリュクサンブール州のマルクール村で生まれた。ここは暴政と僧侶の農奴だった。
 農奴の娘であったが、父親から教育を受けていたようだ。当時の教育というば農法と読み書きが中心だったのだろう。彼女はすぐに才覚を発揮し、イギリスに渡ることになる。そこで恋をするが失恋。
 フランス革命前夜にはパリへ。
その後、政治犯として捕らえらたのち、前述した人生を歩む。
 ただ、描いた画家についての情報がさっぱりみつからない。十八世ということで、時代はまさにバロック美術全盛期。建築から絵画まで大きな変化があった(芸術の都と讃えられるのはこの期間が不可欠だっただろう)。

 ド=ランバル元公爵夫人も頭を斬り落とされ、怒れる民衆は公爵夫人の頭を槍の先にさして、パリの街を歩き回った。死体どぶ川へ捨てられた。って記録があるんだけど、本当に狂気だ。まあ、僕も少しばかり処刑フェチな人間なので(えッ)エロいかといわれたら、倫理観的には赦さないだろうが、エロいよ。
 絞首刑、斬首刑、火炙りの刑、車裂きの刑、八つ裂き刑と残酷ながら死のヴァリエーションは豊かだ。ギロチンは車裂きの刑のあと、一七〇〇年後半に苦しめずに済む、とのことで考案された処刑方法だ。

 僕はというと、ストレスをトリガーにして発車する列車のように創作する、半分は愚痴で構築された物語とも言えたりするから、適当に腹立たしい出来事があると筆が進む。

 

 娼婦は梅毒の温床になっていた。二〇一六年の現代では抗生物質により、梅毒はそれほどの驚異でもなくなった。梅毒は潜伏期間があり、感染しても顕著に症状がみられない。梅毒の症状は「第一期梅毒」「第二期梅毒」「第三期梅毒」「第四期梅毒」に分かれるという。梅毒に感染して一週間から三ヶ月くらいの時期を「第一期梅毒」という。感染した部分にしこりができる。つまり性器にできやすいといえるだろう。男性は陰茎の近く、女性は大陰唇・小陰唇のあたりにあらわれるとか。そしてしこりにつづいて太ももの付け根のリンパ腺が腫れりが、痛みがない場合がある。
性器にしこりができた時点で病院へ直行すべきだろう。梅毒に感染して二ヶ月から三年という長いスパンでかゆみのない赤い丘疹きょうしんができる。
「第二期梅毒」だ。
初期症状に気づけないで、この状態になる患者も多いようだ。この丘疹はやがて性器や脇の下のような部分に大きくでき、表面が白くただれる。
扁平へんぺいコンジローマといわれる。さらに、手の平や足の裏から乾燥したフケのようなものが落ちはじめる。これが「第三期梅毒」で発熱をはじめ食欲が低下し体重も減少するのが「第四期梅毒」だ。
 江戸時代には花魁たちが梅毒に苦しめられた。彼女らは手芸や華道、書道といった文化的教養は受けており、教養深かった。
しかし、まだまだ科学的視点がなかった日本。頓珍漢な民間療法を受けていたようだ。
梅毒で髪の毛が抜け落ち、苦しめずられていると「頑張ればって、誰もが通る道だから」と励まして、潜伏期間がくると「治った」と思った。感染後一〇年ほどで、多くの臓器に腫瘍ができ、脳・脊髄・神経を侵されて麻痺性痴呆、脊髄瘻を起こして死亡する。多くの命が失われた。
そういえば、JIN~仁~という漫画及びドラマにも題材に使われていたな。


それでは次回の更新まで!。