さくららい制作日記

こころと創作について

冒険は終わらない

こんにちは、こんばんは、おはようございます。この頃はグランブルーファンタジーにハマってるよ。っていってもゲームはプレイしてなくて、画集を眺めながら、小説を読んでいる感だけだけど。

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『命を共有する者』

グラブルで僕が感じたのは、懐かしさだった。

少年と少女が出会い冒険にでる。

所謂、ボーイミーツガールだね。

はじまりは辺境の地でグランは一生そこで暮らすと思っていた。

……しかし。

不運なことに帝国兵が攻め込んでくる。

この時点で「あ、懐かしいぞ」と記憶の中の冒険ロマンを蘇るだろう。

ドラクエ、FF、ファイヤーエンブレム。

みんなのなかのある共通認識に結びつくだろう。

それでも、どれとも違うことが次第にわかる。

懐かしいが、まったく新しい冒険ファンタジーだ。つまり、絵が新しい。

この作画で描かれているイラストはどれも鼻がなくて装飾的だ。そう書くとFFの吉田さんを思い浮かべるだろう。はじめ、FFの外伝かなにかだと間違っていた人もいるだろう。見慣れてくると、より明るい色調で今時の美少女イラスト的なデフォルメなのがわかり、虜になっていく。

そこで気がつく「懐かしくて新しい」とは、誰もが沸き立つロマンに“絵”を足した状態だと。

島をとびたし、大空を駆け抜ける。次第に増える仲間たち。

それは、なんて雄大だろう。

そこで、僕はよく思うようになった。

終わって欲しくない、と。

どんな冒険ロマンも終わりがある。

その終わりをどうするのかは、とても気になるところではなかろうか。

少し前だが、懐かしくて新しい、というフレーズが謳われていたブレイブリーデフォルトでは、やはり「元の生活にかえってゆく」というものであった。

これはよくある。

僕ら世代の王道ファンタジー漫画、『MAR』は異世界から戻った主人公が日常へかえっていったし、その時期に流行っていた僕が敬愛する作家、宮部みゆきさんの『ブレイブストーリー』もそうだった。

壮大な冒険は夢で終わっあとは日常にかえるんだ。かの宮崎駿監督もどこかで似たようなことを書いていた。

名残惜しいけど、さよならだよ。

そんな風に終わる壮大な冒険ロマンに少年はほのかなセンチメンタルをおぼえる。

でも、それでも「終わってほしくない」とどこかで願うものではないか。

グラブルにハマっている今、僕にはそんな想いがある。



それでは次回の更新まで!。