怪物の正体 その二
ミステリーとは語るべき余地を残した講義後の昼休みだ。
今回もイラストは一枚だけ。
前回はソシオパス(精神病質者)は環境要因だとは書いたが、サイコパス(社会病質者)も反社会性パーソナリティ障害であることに変わりはない。
ポップカルチャーでは『ダークナイト』のジョーカーや『時計じかけのオレンジ』のアレックスがソシオパスだとされている。
サイコパスは『ヘンリー ある連続殺人鬼の記録』のヘンリー・リー・ルーカスだとされている。そういえばジョーカーは純粋悪として扱われている、という評価がある。
理由のない殺人犯。
悪そのものだというのだ。
町山智浩さんが熱く語っていたのを思い出す。
どんなに平和になっても犯罪はなくならないだろう。完全に殺人がない世界があるとしたら、どうだろう。
それは、すこし退屈かもしれない。
フィクションの殺人はエンタメとは三島の言葉だ。ニュースで見聞きする殺人はリアリティを売り物にしたフィクションだということは脳裏に焼き付けなければならない。現実の殺人は卑怯で人道に反すると思った人は、それは自分が殺されたら、と考えるからだ。だから利他性により他者を殺せない。
「進化とは、調和である」
http://toyokeizai.net/articles/-/63200
少しばかりこの記事と紹介されている。今更僕が解説するまでもなく、理学的な話はこの『暴力の解剖学』を読むといいかもしれない。
人間は生まれつき、遺伝要因として犯罪の因子を持っている、というサイコパスについて考えていた。この説はかなり確証が持たれている。
アニメやドラマなどでよく名前はよく知られるようになってきたが、どうやらまだまだ広くは認知されていないようだ。
ソシオパス。
成長段階で脳の機能不全を起こす、それによって犯罪を犯す可能性が生まれる。
http://app.m-cocolog.jp/t/typecast/16274/18285/82345217
ぜひ読もうと思っている『暴力の人間史』を解説したサイトがあった。
暴力の定義はさておき、人を殺してきた明確な事実はどう説明されているのだろうか。
http://www.igcpeace.org/archives/1476
デーヴ・グロスマン『戦争における「人殺し」の心理学』の書評をしたこのサイトでは、殺人の訓練によって戦場や紛争地で殺すことができるとある。
この本もぜひ読みたい。
それから、三島由紀夫の『金閣寺』にドストエフスキーの『罪と罰』のことを思い出して考えていた。
金閣寺は溝口の一人称で語られた有名な作品だが、上記を応用して考えるとどうだろうか。美の劣等感がまず第一に犯罪用意として気付いたこと。その美の劣等感を最終的には行動によって燃やしてしまう。
罪と罰は極めて異常なまでの正義感によって殺人を犯してしまう。もともとラスコーリニコフは犯罪の因子があったのだろうか。
犯罪の因子+環境要因と考えみる。
(さらに次回に繰り越すよ)
それでは次回の更新まで!。