さくららい制作日記

こころと創作について

明日を生きるために歯医者へ行く

前回からまた少し間がありましたね。

大丈夫です、生きてます。

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シルバニアファミリーにはまっとります。

小さな家にけもっこを配置して妄想、た……楽しい!。

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まだはじめたばかりなんですけどね。

家具とかもっと集めてみたいなー。

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ちなみにイラストのけもっこはこの子。

はじめてのシルバニアについてくる女の子です。

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最近は絵のリクエストが多くて、漫画の絵から落書きまでかなり描いていますが、紹介しきれない。ので! だがしかしのサヤちゃんとほたるさんのイラストを一枚選びました。

さてさて、今日はまた考えたことを書いたのですが(ブログタイトル回収する内容)、まあ絵を見たいだけの人はとばしてくれてもぜんぜんかまいません。


◆考えたこと。

メンヘラの病理について説明している人はまあいるのだが、それは置いておこう。

苦しい、とメンヘラである僕が言っていても、それはどうすることもできないことなので、まあ放置される。

病理について説明するのが医者だとしてもどこか上の空で読んでいる僕がいる。場合によっては甘えだ、なんておもむろに不快をあらわにする人だっている。

だから勝手気ままに書く。


僕は学校や仕事の帰りにコンビニに寄って何か買おう、とそれが実行可能ならまだいいが、なんか億劫になって帰宅し、あとで後悔してしまうような種類の人間なのだが、度が過ぎてしまうと拒食や過食の状態になるのではなかろうか。

億劫なのは、そこに気力がないからで、つまり余裕がない。余裕をすり減らしいくと、それを埋めようと食べ過ぎたり、拒食したりするものだと思う。


余裕のなさを想像する方法は誰でも簡単にできる。満腹の状態にステーキを大量に持ってくるようなものだから。

これ以上食べられないのだから、あとは吐くか長時間胃液で消化しながら食べるかになる。吐きたいから吐く、なんてできる人はそういないだろう。喉に指をつっこんで、ってそんな無茶な。食べきれず気分が悪くなって、オエッどばとばとば、とこんな感じだろう。で、食べるとしたら、自分のペースで食べるしかない。それが吐かない方法だ。

といっても、怖い料理長がこっちを見ている、としたどうだろう。次のお客のためにはやく食べろ、と目が笑ってない。

急かされて食べようにも、気分が悪い。

はやく消化してくれよ、と胃に言っても返事はない。そこで消化剤を飲めれば、ちょっとはマシになるかもしれない。

精神的な余裕も生まれよう。これは、暗喩的な話というより、そういう状態を想像してほしい、というイメージだから、消化剤が精神薬ですか? なんて質問はなし。

(そもそもなんでも暗喩だとか比喩だとか、意味がうんたら理屈をつけようとするのはどうかと思う)


昨日、歯医者に予約を入れていたのにすっかり眠りこけて、謝ってまた新たな予約を入れなおさないといけなくなった。

歯医者にいくのはなんでもないことで、むしろ治療されるのは嬉しいのだが、歯医者に予約を入れて、それを守るのがひどくつらい。


予約を守る。約束を守る。


時間を守る。自分の感情を制御して相手に合わせる。これがつらい。

社会生活をしていたら、そんなことが増える。学校だってそうだ、教科書にならって学ぶ、美術の授業も教科書通り、それじゃあみなさん自由にやりましょー、なんて先生は言わなかった。

ルールがあり、規則があり、さらには暗黙の了解まである。

相手のデリケートゾーンを侵さないような配慮、僕のデリケートゾーンをさらけ出さない配慮。


それを侵す相手、侵してしまう僕。


コンビニに寄って何か買って帰るには、疲れすぎてしまうわけだが。

疲れて動けなくなった頃に “うつ” とか診断されたり、そのうつ病患者が心療内科に通う気力もなくなり自殺したりする。

で、僕はそこから逃げだして、気ままに生きとるわけだが、そういう生活にのまれることにひどく不安を抱いている。


一度逃げだした人はそうやって引きこもりになる。まあ、僕はアウトドアではあるが、逃げ癖はつく。それは書いた通りに生きる術であったりしたわけだ。


今社会生活を営んでいる人にたやすく逃げだせ、なんて無責任すぎて話にならない。そんなことはわかっている。

逃げだした先に失うものが多いのだ。生活費を稼ぐにも、誰かとの関係性も、簡単には切り捨てられるはずもなく、したがってがんじがらめのままになる。特に就活後にじゃあ他の会社いくわ、とはなかなか言えず、作家もしかり、別の仕事をするにはリスクが高すぎる。今の持ち物全部脱ぎ捨てて、戦場で乱痴気踊りするわけにいかない。


社会システムが殺しにかかって、サザエさんじゃあるまいし、一軒家を遠い夢にアパートで首を吊るのがよくある話なのもわかる。


例えば、石油王が一億僕の口座に振り込むと、僕は嬉しい。みんな嬉しい。ところがそれで救われるかは別問題だ。

生活費以上のお金があって、生活には困らないだろうが、無駄な物を買ったり、まわりに振り回されたり、縁を結んで切ってで、結局この社会システムに殺される可能性がぜんぜんある。


絵描きである僕はよくそれを知っている。

絵を描く人生を捨ててまで、お金がほしいかと言われたら、頷きにくい。

お金でうつ病患者を救えるなど、そんなの一部に過ぎないと思うし、問題を単純化しすぎて怒りさえわく。

お金があれば救える、優しさがあれば救える。詭弁だ。ここから抜け出すには、死ぬしかない。と行き着いた人には……。


社会システムの中で他者と関係性を保ち、そこで生きていく。自分の居場所があればいい。前に進みながら、寿命をまっとうできればよい。できるだけ病気を患わず、健康な体で。人それぞれ、それは違うから、だからせめて健康であることは忘れてはならない。


歯医者ばっくれて思ったよ。


健康であり続けるには努力が必要なんだと。


歯医者ばっくれて思ったよ。


生きることは戦いなんだって。


歯医者へ行こうと思う。

今度はばっくれない。

必ずいく。僕は僕のために歯医者へいく。

あなたもあなたのために歯医者にいけ。

健康であれ、健康であろうと思え。

歯医者いけ、僕は歯医者へ行く。


それでは次回の更新まで!