さくららい制作日記

こころと創作について

最終到達地点


あなたは一生でどこまでいけるだろうか。

こういわれると、なんのことかわからないだろう、それは絵のことだ。

いや、この話は絵だけではなく、さまざまに言えることで、音楽だとか語学でも、なんだってよい。ただ僕は絵描きであるから、絵描きとしてについて話そうと思う。


昔の話、僕が初めて自分が絵描きなのだ、と意識したのは小学四年生のある授業のことだ。それは、図画工作で蝋画を制作する過程のこと、この蝋画とは水彩絵具で描いた板に蝋を塗り、さらに彫刻刀で額縁を掘り、そこにはめる簡易なものであった。モチーフはシクラメンで、よく観察するように、と先生は言った。みんなは元気いっぱいなシクラメンを描いていくなかで、僕はどうもシクラメンの象徴とは思えずにいた。

窓に飛びつく大粒の雨とシクラメンはよく似合う。陰気という言葉はもちろん知らない。

なんだか哀しそうで、それでいて凛としていて、赤は美しい。うまく言葉にならない感覚が沸き起こったのだ。

僕は古い洋館に飾られた絵だ、と考えた。なぜなら、ふしぎな感覚は誰も知らない洋館に閉じ込められた孤独な絵画のように思えたから。思えばこれは、このクオリアは芸術のすべてだったのだ。目の前にあるシクラメンを超越した僕のシクラメンは一枚の輝く葉とそれ以外を描かせる。唯一の存在、あるいは神。蝋を塗り教室を飛び出してなんども黒い絵具に浸した。額縁は彫刻刀で無作為に切りつけ、傷だらけにした。

 ついに完成した蝋画のシクラメン。それはコンクールに入賞して、大人たちが褒め称えた。僕はそのふしぎな感覚を追って進みはじめていくことになる。

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その当時の作品。


僕が漫画を描くようになったきっかけは大きく省略するが、たまたま友人が描いている女の子が可愛かったからとかで、本当にささいなきっかけだった。

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新作のネーム。


現在、僕の世界は漫画なしでは語れなくなっている。創作を同人でやろうと商業やろうと、ペースは守るとした場合、人生でどれだけ量をこなせるかって考えると、月三十二枚ペースで六ヶ月一九二ページ。年に二冊が限界だ。となると一〇年で二〇冊しか描けないのだ。それを考えてると人生短すぎ! って思ってくる。この下準備とか考えると、活動は三〇年ぐらいがいいところ。そこで順調にできても最大六〇冊。一作一〇冊で完結させていった場合は当然だが六作。

僕が死んだあと漫画文化が終焉を迎えて、その時代に生きた一人の妄想、なんら価値はなく芸術的な文脈を汲まない、って代物になるのは、絵描きとして生きるに値しない。

最終到達地点を想像すること。

僕の考えは昔からこうだ、できるだけ誰も歩まなかった道を選んでいき、それを最終到達地点で結びつけること、それこそドラマティックな生なのだ。


それでは次回の更新で。