鼓動のリズム
そこに君がいて、君はどうやって生きてきたのか、またこれからは。
もしも、一時間の映画で帰宅した女の子が入浴して、アイスを食べて、歯を磨いて、寝る。だけ、しかなかったら、駄作だろうか。
その女の子の動作のすべてが凝られていたら、それでもやっぱり駄作なのだろうか。
僕はそうは思わない。
そこにいる、暮らしているんだ、そういった実在感があるなら、傑作として扱う。
インフェルノは今年観た映画で一番の傑作だが、一方でASMRとかの別に何かが起きるわけではないが、癒すとかえっちなエネルギーがあるそれらは、僕の評価するポイントだ。もっと生理的な息づかいとか、脈打つ生命を感じたい。一方で何かを悲惨な魅力が欲しい。物語のロマンが欲しい。
そんなことを願っていたら、自分で描くしかない、とネームを進めはじめたんだ。
そもそも実写、もっといえばドキュメンタリーやら個人撮影だろうが、そこまで脈打つような実在感を感じない。
そりゃ映像や音が遠いからね。
登場人物がさまさまな角度から、息づかいを醸すから、物語はどんどん味わい深くなるはずだ。そこで話された言葉や出来事は物語の示す問題につながる。倒錯的な部分に接触しとても言語化ができないような感覚を憶える。
生理的な食べる、寝る、を描く。
暴力や異常行動を描く。
そして繋がる。
それが狙いだ。