さくららい制作日記

こころと創作について

なぜそれをやってはいけないか?

してはいけない妄想していませんか?

 僕はよくしますよ、窓から手をだしてみる、親子の親を殺してみる、したいわけじゃないけど、そんな、ありふれた異常な妄想を。

小ちゃな幼少期、精神異常という考えを理解できなかった。あの子はおかしくて、この子は普通で。へんなおじさんがいて、へんなおばさんもいて、命は素晴らしいのに自殺して。たぶん、みんなも精神異常を理解できていなかったなあ。だから、あいつは嫌いだって避けたり、逃げたり。

先生方は訓示じみて仲良くしましょう、ほらこの車椅子の子も一生懸命に生きている、って言っていた。あれによって、少なくとも車椅子の子はいじめられることはないな、と思った。

けれど、泣き虫ケムシでやーいやーいで、あいかわらず泣き虫はいじめられるし、そういう微妙なところを先生方は何も示さなかった。しかも、示したところで理解されないことを知っていたはず。大人はみんな知っていた。泣くことは悪くない、残酷なのは悪くない、そんなの小学生そこいらにわかるはずもなく、大人も知ってはいるが、深くはわかってなかったろうと今さらに立場的に察した。泣くのは悪くない、は大人ならすぐに悟り知るけれど、残酷なのはわるくない、ってなんだ? と思う大人もいるはずで、これは例えば虫を殺したりする人や、またぜんぜんタイプが違いそうだが、死んだ親族の顔をじろじろみたりすることをイメージした。

大人にそれをしてはいけない、と教えてられて、経験的に怒られる行動を避けるようになるのが人間の成長だ。誰かが言った、書いていた、結局そういった集積だろうと踏んではいる。たぶん、やってはいけない妄想とか、幼少期の憧憬を引きずっているんだろう。

僕はまだ、根本的になぜやってはいけないのかにたどり着けていない。