さくららい制作日記

こころと創作について

クオリア

  人間らしさが感情の豊かさといわれても、ぼくの心が豊かなのか計測しようもない。そもそも計測なんか不可能だろうと思う。

  たしかに計測できるもの、つまり論理的なものは、人間がAIに敵うことはない。計測できるものはその範囲からでない。これもわかる。ただし、では人間にはそれが必要なく、豊かさが人間には必要だ。ってのはわかるようで、ぜんぜんわからない。

 

  ぼくは自分の心は豊かですよ、とはとても言えない。そもそもこの問い自体が人間に値段をつける、価値の査定にしか考えられない。そもそも人間は価値判断でしか評価できない生き物じゃないのかなあ。で、その生物の性質上でわかりやすい計測できる価値判断が登場したが、それを全否定するAIがでてきて、人間って心の豊かさが大事です、といわれても、どうすりゃええねん、って感じなんだけども。まあ、それが「オレがいいと言ったらそれはいいもんなんだ」みたいな、先進的だけどある意味原始的な初歩的な判断になるんでしょうね。

 

これ、ヲタクマインドじゃないかな。

 

  人類の成長はヲタクになること、ってことなのかなあ。マスにしても(アニメはマス=大衆 かはさておき)厳密には趣向はわかれるでしょ(艦これでも、けもフレでも好きなキャラやその声、仕草は違う)。

  おじゃる丸のかずま的ななんでもない、ただの石ころあつめるみたいな趣味は、あるいみ未来的なのかなあ。

  赤は赤でも、この人がつくる赤が好き。みたいな気持ちはあると思う。まあ、これが本題ですよ。色の選択は鍛えられるけども(初心者が選びやすい下品な色は知識と経験で上品になる)、色の好みそのものは別だと思う。

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