さくららい制作日記

こころと創作について

立ちションしながら夢を語れ

  よく三人称や一人称の質問をされます。三人称に関していえば、ぼくはもうトイレで立ちションしながら友だちに話している物語と考えてきた。悶々とした想いを、こういう場所にこういう人がいて、こんなことをするんだ、というジョロジョロさせながら聞かせる話。だから、厳密じゃないです。
 

  それが近ごろは違うのですよ。
先生にみせるためのレポートを書くつもりになった。

 

  今日、レストランの背後の席に座って、会社か学校の先輩らしき人へペラペラとマシンガントークをかましていた馬鹿な男。ゲームのキャラがどうたら、アイテムどうたらと、見て記憶した情報をひたすら話すのよ。←こんな風に。ああはなりたくない。そんなことを話すくらいなら憶測の方がはるかにマシだ。
  たしかにそんなに話せる雑談力はすごい。だけれど、ひとつも聞くにあたいすることをいわないのですよ。つまりは、立ちションしながら話している悶々とした心の方がずっといい、といいたい。
  すごくなにかの部分でしかない具体性というものはとてもつまらない。ぼくは退屈で仕方ない。

 

  学校にいると、よくいた成績のいい生徒はそういう部分的な具体性の話しをしていたように思う。一方で、からっきしダメな生徒がしていた、えっちしたい……みたいな夢がより上等なものに思える。
  あるとき病院の待合室に、消化がどう、分解酵素がどうたら話している男がいて、そのときもブチギレそうになりました。

  立ちションしながら夢を語るをモットーに未知なる世界へいざ。