失明したこと
兄が眼球へ割り箸を突き刺し、失明した。
いろいろと、怒りや憤りがあって、そうなってしまった。
少し前、閉鎖病棟から開放病棟へ移り、ようやくよくなってきたかと思われていたころの、突然の電話。
「そうか、ついにあいつやってしまったか……」
ぼくは答える。
父母は気が動転していた。
この前、閉鎖病棟へぼくが面会しにいったことが、嬉しかったらしい。そのことで、すこし穏やかになった。
「わかってくれるのは、おまえだけだ」
と言っていたのを想い出す。
ぼくはいつからか、誰が悪い、誰が善い。そんなことよりも、なぜ人間はこうも苦しまねばならないのか、その答えを求めていた。
まずは相手を否定しないことを枷として、実践してきた。
この発言は馬鹿だ、とか。
この行動は滑稽だ、とか。
単純にとらえてカーと顔を真っ赤にしているのは見ていられないたちで、だからといって、冷めたふりして、「へっ無知めが」と内心で嘲るのも厭だ。
閉鎖病棟での生活はどうやら上手くいっていなかったようで、担当医は開放病棟へと移動させたのだ。
そこにいろいろ問題があるのだろう。
けれども、その医師の配慮が、優しさが、ときに人間をよからぬ方へ墜としてしまう。
暴れていた兄をぼくは止めに入り(寝ていた)、怪我をした。
その後、別の場所から警察へすぐ連絡したので詳しくないが、兄は父を馬乗りに殴り、青あざをつくらせ、自分で自責してしまっている。
……警察は「私たちではどうすることもできないんですよ。現行犯でないと、連れていくこともできない」とのことで、頼りにならない。母もびーびー泣いたりするばかりで、なんの頼りにもらない。
……ともかく、緊急な場面ほど落ち着くことが大切だ。消防へ連絡し、疲れてひっくり返しになった兄を担架で運んでもらった。
そして、失明である。
ぼくはこれからも家族を支え続けなければならない。
「あんなこに生まれてしまったから、病気だから」
と父も母も誰もが言うけれど、ぼくは
「そもそも、ニコチンの欲求があるから、それの苛立ちがあったんじゃないか。だから、タバコがなければここまではならないはずでしょう。つまりは生まれながらこうであったわけではないじゃないか?」
なるほど、と納得していたようで、どこまでわかってくれたのものか。
家族。いや、人間が理性的であるにはどうすればいいのだろうか。
恩師の先生はガンで、飼ハムの寿命も近い。
生き物は死ぬ。
祖母は九〇を超えている、兄は隻眼、父母は怒るか泣くかで疲れる。
友人たちも見栄っぱりで、遊んだり、インテリぶったりしているし……。
ネットでは下らないお笑いごっこをつづけられている。
なになに、「でも幸せならOKです」がパロディに使われて、爆笑モードにはいっている。
相変わらず、よくそんなことで笑えるものだ。
まあ、幸せならOKである。
そんなこんなで、まわりに頼りになるような人がまるでいない。
しっかりしなければ、と自分へ言い聞かせる。
メンヘラで怪我をしているのに、支え続けなければならない。
ぼくは、それらヘラヘラした人々を嗤っているのではない。虚しいのだ。自分とは関係のないことだと思い、どこまでも堕ちてゆく、それなのに、いざ自分の身にふりかかれば吐き棄てるような言葉を使う。
虚しいのは、それだけ生きることが得意ではないからなのかもしれない。
メメント・モリ(目だけに)。
死を想え。
人間は進化の過程で死をはぐらかすようになった。有限だと知りながら、無限だと信じる。
二二歳の若輩者のぼくは、小学校の頃に新聞にも載った事件に巻き込まれている。
だから、早い段階で死を自覚してしまった(早スギィ)
だからそのとき誓ったのだ、誠実であることを。
さて、きな臭い話しをして申し訳ない。
しかしこれはなにも身内の悲劇を書いたわけではないのだ。
ぼくが伝えたいのは、常に冷静に考える覚悟と、物事を疑いつづける誠実さだ。
血が流れたって、大切な人が死んだって、リョナやら母子輪姦の作品を書きつづけるぼくのように、この世の中の不道徳が、必ずしも人間の不名誉ではないことを訴えつづける、覚悟。
(これを読んで心拍数が上がるならばうれしいが、まずあたたかいお茶を飲み、考えることをしてもらいたい)
ガンで悶えながら死ぬのも、ナイフで首を裂いて死ぬのも、おびえるようなことではなかろう。泣いたって、怒ったって、なにも変わりはしないのだから。
…………明日のために、よく学び、よく食べて、よく運動し、よく眠る。
今を生きること。死から逃げないこと。