ヨイトマケ
久石譲の風のとおり道を聴いて、ぼくは石川県のことを思いだす。夕暮れ、金平糖のようにキラキラ光る粒が散りばみ。
どこまでも、どこまでもつづくかのような、千里浜の砂浜を車で走り抜ける。風が窓からやさしく吹き込んでくる。
あの風景は原風景だ。
釣りをしたり、海のしじまのひたすらくどい青い海。てな、風景に母の実家があり、曾祖母は明治生まれの人だ。
やさしく、立派な人だった。が、正直よく覚えていない。よく覚えているのは、曾祖母の棺から白い骨を箸で拾ったことだ。あの人は、死んだ。死んだとは、なんだ。
そういえば、家から曲がった背骨の曾祖母がいなくなった。あの骨らは、彼女のものだった。
曾祖母、名はときさん、とか言ったか。なにせ明治生まれ、生まれたときは、まわりはチョンマゲで江戸の名残があるのだから。
かつて石川県は漁業で栄える町であり、先祖もまた、船大工をしていたらしい。いろいろ苦労したそうだが、苦労を話すようなタイプでもしに、そのあたり、雪の国で育ち営む者の強さをみる。
火鉢の灰をいじるのとか、よこで鉋(かんな)で木を削るおじさんの姿が目に浮かぶ。
久石譲つながりで、おくりびと、てな映画があるが、あれもそう。通夜では、死化粧とは、なんと美しいんだろうと思った。
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しみじみ語りたいわけではないんすよ。今、ぼくは人気の抜きゲー脚本家について調べています。ただ、失われていく日本の姿をときどき思い返したいんです。