さくららい制作日記

こころと創作について

一瞬の光、自殺と暗闇

  思えば、ぼくは何度も自殺を考えた。

  あるときは、中学の頃にあったいじめで、またあるときは家庭のことで。けれども現時点でぼくは死んでいない。まだ、生きている。


  もう限界だ、とそれしか頭の中に浮かばなくなっていた。母と父の喧嘩と愚痴、お金のことに追い詰められて、冷静になることが困難な状態だった。なぜ生きているんだろう? そう思ったとき、ある言葉を見つけた。


「死ぬ前にまず落ち着いて下さい。三週間、いや三ヶ月」
  もちろん、そんな余裕はないはずだと考えた。
  そう考えてみる。でも、たしかに明日には違う思いが生まれてくることは、知っていた。三ヶ月ならばもっと違う。そうだった。人間は変われるんだ。生まれた日と今が違うように、人間は変わりゆく。

 

  ぼくは、遺跡調査の仕事に就いた。
  これも経験だ、知らないことが起きるなら、楽しいじゃないか。作家としての蓄えとしても良い。第一、興味がある。知ることの楽しみが、生きることに結びついた。すると、どうだろう。どんどんやる気が湧いてくるじゃないか。
  目標へ向かって歩むことがその道のりにすべての価値があるように、一歩足を踏み出してみる。
  どうなるかわからない。もしかして、また死にたくなるかもしれない。追い詰められて身動きがとれなくなるかもしれない。
  それでも、まだここで犬死してたまるかと、うちから声が聞こえてくるかのようだ。多くの方が人生に退屈しているんじゃなかろうか。人生に劇的な運命がないんじゃなかろうか。そんなものないよ、と諦めているんじゃなかろうか。諦めるまえに、楽しいことを見つけていくといいかもしれない。

 

  最近、笑っているだろうか?。笑いは副作用のないナンチャラだというらしい。ピース又吉が跳ねながら、ぼくはおそらく殺されるだろう、と淡々とした口ぶりで言うコントがあったはずだ。あれはおもわずナンセンスで吹いてしまう。
  ナンセンスの笑いは、無意味なことが起きて、それが自分の常識から遠すぎるため起こる快感だと考えてみる。凝り固まった考えが一瞬でほぐれる。そういう一瞬と一瞬を大事にしていきたい。