サディスティック ノンポリ サディスティック
SNSをみたりしていると、語りたがりが山ほど増えてしまった。
わたしをみて! と言わんばかりの語りたがりは、読むとたいてい萎えます。
だって、つまらないですやん。
「社会」が顔をのぞかせている。
それは問題じゃない。わたしは、社会的にどのくらい価値があって、なんのために生きているのか……。なんのために生きているのかは、さておき不安で仕方ない、と言わんばかりで(言わんばかりを連呼してやがる)。
それは、まわりの人が大丈夫だ、とポジティブな性格で育ったのかが、どうやら関わるようですよ。
自分はここにいてもいい、生きていてもいい、いつでも守ってもらえる場所がある。
なんらかの居場所は、大人になっても求めてしまうものです。
ヲタクの世界は、居場所のない者に傘をさしていた。
集まるものは同じように、まわりがわたしと似たり寄ったりなのを、承知している。
沈黙した規律です。
だからヲタクの世界で、「社会」を語るなど、そんな厳しい現実は喜ばしいことではないと思います。
さて、ぼくは今まさしく、そんな厳しい現実の社会をモチーフに、作品を六月から書いています。
各所に微妙に影響を及ぼしているっぽく、申し訳なさ。
だとして、しかしぼくは厳しい現実は同時に、最高のエッセンスになると踏みます。
たぶん語らいをつまらないものにしているのは、書き手のたんなる愚痴にすぎないからではないでしょうか。
将棋の新しい遊び。
『小学8年生』の付録です。
将棋は弱者は強者に勝てない遊びです。教育においては、負けるというのは大切なのでしょう。あえて、逃げる‼︎。