さくららい制作日記

こころと創作について

君たちは革命をするべきか

 

  儲かる職業があって、そうではない職業がありますね。儲かる職業っていうのは、ほとんどは能力の高い人間にしかつけない仕事です。それは競い合いの社会だからですが、じゃあ能力がない者はどうなのか、自由を獲得するにしても、獲得できない人がいるではありせんか。競い合いの社会にでて負けないように教育がありますよね。賢い子は早い段階で負けと勝ちを決めて勉強をはじめる。しかし、誰もが勉強が得意なわけではない。そこで狐たちは熱心に仕事を教えているんですね。まあ、そのなかで自分が社会でどのような立ち位置にいたいかはでてきますよねえ。

  今描いている悪業! 狐のお仕事は半径五メートルの世界なんですよね。それは、現代の社会的な冷凍食品を食べたり、パソコンを使っている生活。こうしてツイッター(ブログですが)に呟いてしまえばそこで完結できる内容かもしれない。でも描いたからには伝われ、って思います。描いたことの熱意が伝わってくれたらよい。

  善良になろうとする動きは確かにツイッターにはあります。繋がりあっていますからね。わざわざ雑誌に掲載させなくとも主張はできる。  だからぼくは商業にこだわらない。食えないのですが。

  土木の仕事の現場では、力を使ってクタクタになるのに、日当が数千円だとかいう。また友人がよくやっていますが、日雇いの仕事だと、一日中使いたおされてしまう。それはいわゆる儲からない仕事です。結婚はむずかしいし、その家族のもとで生まれた子どもはどうなるんですか。この問題に答えたい。

 

  学生の憧れは優等生なり学校の先生だったり、狭い範囲の憧れです。あらゆる思想が、そこから出発してしまっいる。だから未だに東大だの話題になります。ところが世界にはさまざまな大学があり、また仕事がある。それは経験しなくてはいけない。

  社会的な害悪とされたサブカルチャーがいまや大きな産業となっているように、社会的な価値は移ろいやすい。多様な視点が持てるように経験が必要になる。なのにメディアの発言力はマルマル大学の博士だの、先生だのになって、もったいない。

言論なんか虚しいだけだ、と堕落するのもわかるけれど、ぼくはまだ元気なんですよ。

 

  わかってもらうために共通のツールとして漫画があった。ツイッターやブログがあった。

大学闘争の歴史は集約されてしまい、暴力による革命は失敗したことになっている(おいおい)。