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さくららい制作日記

こころと創作について

離人について

 


堀江貴文近畿大学の卒業式でスピーチした動画をみた。
まあ、特に凄いことは言ってないんだけど、自分の考えたことをブログとかで共有しろ、って意見はごもっとだろう。
だから、僕は今更ながら、こうして情報を提供する。

多重人格ってご存じだろうか?
サブカルの界隈の人なら、当然馴染みのある言葉だろう。
多重人格を要素として含んだ作品はごまんとある。ま、その中でも、これは特筆する、ってならば、原作の『空の境界』をあげておこう。
さて、多重人格とはなんぞや? な、サブカル界隈外の方はウィキペディアで検索しよう。

で、
 解離性障害とは自分がわからなくなる精神疾患のひとつだ。そのなかでも僕は離人症の症状のような感覚を何度か味わっている。

そう、あれは中学のときだ。
いじめ、家庭的な問題で疲弊していた僕は学校を休んで、夏の暑さに茹りながら田んぼを眺めていた。その頃の僕は消えてなくなりたい、といった願望がたしかにあった。
消えてなくなりたい、生きるとはなんだ?
思春期によくある思う(思春期の精神こそ着目点だ)。
夏の濃い日差しのなかでぼんやりと考えていたら、自分がいなくなるような感覚に包まれた。

僕は誰だ?

僕は怖さと、その怖さが自分のものではないような、そんな、つかめないふしぎなこころを体験した。
そのときが人生で最高濃度の離人だった。
自分がもう一つあるような、ゲームでキャラクターを眺めているような感覚が長くつきまとう。だから、鏡が不気味だった。
そこに誰かがいる。
鏡の中に “僕” ではない “僕” がいる。その理解を超えた現象が不気味だった。

調べてみると、あまり情報がでてこない。
だから、こうして経験を書いているのだ。
つまり、これは医師や同じような感覚を知っている人に読んでもらいたい。

 最近になって、ようやく柴山雅俊という医師を知った。この人は本当にわかっている方だ。
ま、まだ著書は読んでないけど(笑)
あと、まんがを描いていたようで、僕は親近感を持った。
柴山さんの著書

解離性障害—「うしろに誰かいる」の精神病理』 ちくま新書
解離性障害のことがよくわかる本-影の気配におびえる病』講談社

まず、このタイトルは凄い!
的を得ている。うしろに誰かいる、影の気配、この言葉は僕の経験からいって非常に正しい。そう、その感覚! って思わず唸った。

まだ読んでいないのでどうとも言えないが、こういった売れはしないが、絶対に絶対に求められる本を出版するのは大切だと思う(おら、きいてんのか出版関係者!)

柴山さんから話題を変えてみる。
鏡をみているとだんだん自分じゃないような感覚を覚える。顔の一点に集中して鏡をじ〜っと見てみよう。
とつぜん、変な人が映り、ゾッとする。
これはトロクスラー効果と呼ばれ、なにかに集中して着目していると、そのほかが見えなくなったりする現象だ。
目の錯覚とは脳の働きによって生じる。
無理やり例を挙げると、夢のなかで現実と寸分狂いがなければどうやって夢だと判断できるだろうか。押井守のイノセントでキムの館がでてきたね?
人間が現実と夢かを判断する材料は連続性があるか、つじつまが合うかどうかくらいで、つじつまが合っていたら現実だと思ってしまう。
雨→降る
とか
炎→熱い
みたいな連想は論理的な結びつきなわけだ。
雨→火事
とかなら、わかりやすいかな?
いや、雨なのに火事とはおかしなことだって。
人は概念の結びつきで発想をする。演繹でつじつまを合わせて記憶する。……だろう。
鏡をみていたら、変な人が映った、化けものが映った、というのは演繹である。
自分が知っている概念へ結びつけたわけだ。

気配とは、つまりそんな脳活動ではなかろうか。
前にミステリを描こうとサイコパスや犯罪心理について調べていたが、なんとなく関係がありそうだと思う。

僕は大阪の人なので、でなんやねん? ヲチはどこ? と言われそうだ、ヲチを用意できなかったことを謝ります。
ヲチついて冷静に書いたつもりなんですけどね。

以上