さくららい制作日記

こころと創作について

戦争とゲーム

 

  叔父さんが病気になった。ぼくは本来なら帰省することになっていたけれど、後日にみおくり。

  で、やることもなくゴロゴロしとりました。
夜になって毎日ムックの昭和50年を読んで、つい読み耽り。むかし、新聞に三島由紀夫の首が写っていたーとか、あったらしいです。ムックにも死体が写っていてショッキング。

  そう、ぼくら平成生まれは、ショッキングなものから遠ざけられて育った。人が死ぬとはどういうことなのか、ろくに考えてこなかった。
ただ、親やそのまた親から、戦争は悲惨だったと聞かされた。でもやっぱり聞いた話しに過ぎない。実感がないのです。

  ぼくは、隣の部屋に誰が住んでいるのかを知らない。生活どころか名前すら知りません。子供の頃は、子供がいない時代に育ってきました。
だからか、個人的な視野で社会を見てしまっている。
  どうしたらいいのでしょう?。

  毎日、ご飯はいつ食べるるのか、とか、ゲームが面白いとか、そうでない、という小さな世界で暮らしています。
なのに、ツイッターやブログでは世界と繋がっている…………。

  確かに戦争も大学闘争も経験してきていないのですが、だからと言って幸せでもない。幸せでもないから、何かのために生きるって、隣の人の名前も知らないのに難しい。

 

  今日買った『聖剣伝説2』なんでも、名作らしい。『聖剣伝説4』を勧められたのですが、まずは無難に名作と評価されているほうから。


  大きな理想より、ゲームをどうやったら楽しめるか? が重要なの。面白いことには敏感なの。ぼくらは、ゲーム脳なんて言われてきましたよ。協調性がない、って。バーチャルな世界に住んでいる、って。

だけど、大人の世界に夢を抱けなかった。作家を志したのもそのため。夢は、バーチャルな世界にあった。遊びといったら、ゲームでした。特にヴィジュアルノベル全盛期。ヴィジュアルやモンハンや、いまだったらカスタムメイドを遊んできました。

 

  あ、そうか、こうやって引きこもりになるのかあ……もう死んでしまいたい。

 

  リアルの世界で、恋愛しなさいよ、とマツコはマツコ会議にでていた腐女子? の女の子に言っていた。それもそうなのでしょうね。しかし、リアルに居心地の良さはない。と、感じているぼくは、現代のヲタクは、逃避してしまいます。
  ピクシブツイッター、みんなが創作に盛んになってきました。それを煙たがり、叱る大人はいなくなりつつあります。
  現実逃避ばかりの、大人になりきれないまま生きています。もうピーターパンみたいに、子供の価値観のまま、誰かに甘やかされていたい。
うう……このままではいけない気がします……。