さくららい制作日記

こころと創作について

ハルキ

  村上春樹と愉快な文学評論家たちの本をたのしく、いや夢中になって読んでいた。

  やれやれ、村上春樹が好きになってしまったじゃないか。

  各評論家の文章から伝わる著者のモテ値。あ、この人ってモテないんやなー(笑) なんて想像できてしまう。

  それにしても村上春樹作品にでてくるフェラチオしてくる女は単純に村上春樹フェラチオが大好きなだけだとぼくには思える。

結論は、ぼく的には村上春樹が否定されがちなのは村上春樹に才能があるからだとする(やれやれ)。

  村上春樹は今や世界的に評価をされている大作家だが、アジアのインテリ層には軽視されており、日本でも大江健三郎などにデビュー当初は否定されていた。それは村上春樹は今までの日本文学にはなかったからだ。

ただし村上春樹の「異端者は受け入れられない」こと自体は日本文学界の伝統なのだ。

そのことは、異端者という作家はむしろ伝統的でありいたって普通だ、ということだ。村上は間違いなく「優れた作家」であり舐めてわかったふりをしていると大恥をかくだろう。

  感心したのが、村上が外国に住んでいると、どうしても日本人だという、なにかしろの定義付けがいる、日本語を読めることにすでに日本を意識せざるを得ない、という話。

すげい「わかる😌」

東大全共闘 VS 三島由紀夫の話で、生徒「あなたは日本人だと勝手に思い込んでる」

三島は「それでいいんです、あなたね。外国で鏡に映った鼻の低い人、てめえなんだなあ」という例をだしていたが、村上は「日本語」を例にだしてずっとわかりやすい話をしていた。

ちなみに村上は三島も太宰もあわない😭とあちこちで語っているが、歳を食ってなんだかんだ似てきているようだ。