さくららい制作日記

こころと創作について

「人間」になるために煙草を吸うべきか

  ホテルで一時間くらいしか寝られなかった。九時半にチェックアウトし二十一世紀美術館で友人と待ち合わせ。
 

  金沢では電車の代わりにバスで移動する。
二十一世紀美術館は待ち合わせこそしたものの拝観せず、近くの金沢城公園へいった。
  金沢城公園では新たに玉泉庵という庭ができたらしく、お茶と和菓子を食べながら観た。
玉泉庵は「立体的な」庭らしく、たしかにゲームのダンジョンみたいだった。

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ああ、あの辺りにアイテムあるだろうな、みたいな話をしていた。
和菓子は白あんでほのかに甘かった。洋菓子系の砂糖の甘みではなく、餡子の甘みだった。作法的には、まず一口か二口でたいらげ、そのあとお茶を飲むらしけど、もったいないので、ちびちび食べた。
  お茶の方は苦くて濃かった。
  昔、作法がなってないことを将軍が左遷の理由づけにしたらしい。よくは知らない。
その他庵でなぜか英語表記のパンフレットを入手。友人は簡体字のパンフレットを入手していた。

 

  玉泉庵を後にし兼六園へいった。

観光客が多くてあちこちでガイドが解説をしていた。友人はガイドが嫌いな様子。
「自分が感じる前に説明されるのが嫌」
とのこと。
ぼくは説明を聞いたり読むのが好きだから、この考えはわからなくはないけど、ぼくは違うな、と思った。
ぼくは説明を聞いてから妄想を膨らませる。
で、兼六園の中でも和菓子とお茶をいただいた。ドロドロの羊羹に栗が入っているみたいなお菓子で凄まじく甘かった。

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そこで、うちの子について話をした。
「うちの子ってなんなの?」
ぼくは
「うちの子ってのはうちの子だよ。自分の世界を写したキャラクター。概念。それをツイッターとかでは描きあったりして、創作しながら交流する」
で小一時間くらいうちの子の話とか、キャラ造形の話をしていた。わりとディープな話をした。
  兼六園を後にしてカレー屋さんへいった。
スパイスと野菜が香るヘルシーなカレーだった。友人のおすすめらしい。

 

  大学卒業して自由になったけど、いざ自由になってみると何もやりたいことがない、空っぽだ、って話を聞いて、「じゃあ、さんざんゲームしたり旅行したりしようぜ」って言ったら、曖昧な顔をしていたように思える。
今まではやることがどんどん湧き出てきたけど、なくなると何をしていいかわからない、「自分」がない、という。
「自分」がないから、何も目標もないし、やりたいこともわからないし、って。
んじゃあ、「自分探し」をしよう。
いろいろ体験してみて感じることが大切だ。

それから駅前のスタバにいって大阪発まで一服。

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なんか「煙草を吸ってみようかな」とか言ったから、「肺悪くなるよ」と忠告しておいた。自分がないからか、煙草を吸えばすこしは精神的な動きがでてくるのかもしれない、それはたしかにおよそ感情というものが死んでいる友人にはいえた。

ぼくは煙草を吸う予定はない。健康主義者なのでね。

ぼくらの世代で喫煙者は少ない。世間はどんどん健康主義者になっていくから、煙草を吸う人が減った。煙草は、時間を吸うものらしい。つまり、煙草を吸う時間が増えてしまう。

ぼくは煙草には反対しているけど、こうも感情の起伏がない人をみていると、煙草の快楽をいれてやったほうがいい気もしてくる。

何も楽しくない。だから、単純で強度の強い快楽に接続する。ってのは、わかる話ではないだろうか。人生が煙草に侵食されだしたとき、はじめて人間になれる場合もあるのではないか?

つまり、「煙草は人間になるためのもの」なのかもしれない。

 

時間になり友人と別れサンダーバードに乗った。