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さくららい制作日記

こころと創作について

外部化

  ストレスをため込んだ人間は単純になる、というのがよくわかる。ある人は「わーい!」だしまたある人は「サヨク氏ね」になって、イライラして涙脆くなる。そして職場と自宅を往復しているうちにおじさんとおばさんになる。それを「つまらない大人」と呼ぶんだろうけれど。
  現実の社会の人間はカッコよくない。自分という人間がその往復の中にしか見つけられなくなったとき、あらゆる種類の娯楽に関心がなくなるのだと思う。しかも体力も知力も衰えていき病気も患う。コンビニで無気力にレジを打つおじさんとか、トイレで掃除しているおばさんとか、電車で寝ているサラリーマンとか。
  現実の社会の人間たちを動画で撮影したあとで、それを見返したとて、ぜんぜん面白くないのは、そもそも人間の大人たちは面白くないからだ。脳内では楽しくしていても、見た目は面白くない、外部からの目線は冷淡だ。

  ネットやテレビは撮影のとき演出上頑張って楽しく振る舞うが、私生活はいたって普通なことがある。だからこそ娯楽があり、それが人間の脳活動そのものであることが、上記のことから考えられる。娯楽を楽しまなくなった人間は、いったい本当に人間だろうか? 発達した社会が人間を人間たらしめていた部分を奪うこともあるのではなかろうか。