さくららい制作日記

こころと創作について

拝啓 ルノワール先生

  一月二十四日から三月三十六日まで、あべのハルカス美術館で「拝啓 ルノワール先生 梅原龍三郎が出会った西洋美術」展がやっている。

梅原は画家であり、また西洋美術の収集家。八〇点を公開とのことで、わりとボリューミー。もちろんルノワールの生を体験できるぞ!

 

  そこで、ルノワールの味い方をレクチャーしよう。

まず時代背景から考えてみると面白い。

ルノワールとは美少女画家でのびのびとした女性のはだけた爆乳(笑)とか、百合っぽい作品など、とてもヲタっぽい。

知り合いとか、実際にいる女性をもんもんと妄想して絵にしたのだから、やばいのだ。

なんと破廉恥な! と当時の美術界を戦慄させた画家であり、それを聞くとこりゃ生で観なきゃいかんでしょ、と思えてきませんか?。

 

「おいおい、またルノワール先生がやらかしたぞ、今度はあの美人画家のマリーさんじゃねぇか」
「やべえよ、やべえよ。あの先生あたまのネジが緩んでる」

 

おすすめの作品は、「A Young Girl with Daisies(雛菊を持った若い娘)」

すんげーえろい。

  もっと美術的な視点では、印象画を花咲かせた画家でもある。印象画とは美術界のインスタント食品であり、さほど時間もかけず、ぱぱっと描いてうまい! みたいな位置にある。

 

印象画を文学でいうならばポエムだ。

 

  かの有名なモネは目の前の景色を永遠にしたかった。だから印象画をはじめたのだ。

モネは白内障を患い晩年の睡蓮からはそれを伺うことができる。

 

もともとは印象派とは評論家が名付けた蔑称だ。それに、ルノワールも加わり花咲かせた、ということだ。

美術には正統派とされるアカデミック教育があり、その論理やテクニックは絶対的な権威であった。

 

モネとルノワールを比べてみよう。

視界がぼやけてもはや白と黄色の区別もつかなくなったモネとはルノワールは対照的に鮮やかだろう?

油彩村と呼ばれる中国にある街で画工たちは複製画を描いているのだが、その中でモネを描かせたら一番の張房坤という画工は、ただの複製画ではない、もしもモネが白内障を患わなかっら観たであろう睡蓮を描いている(画工とは複製画を描く人で画家とは認めてられていない)。

 

もしもモネの目が見えたら……。

 

モネと比べるのもよし、えろ先生の妄想を観に行くもよい。

 

  もっと、もっーとおいしく味いたいなら、政治的な部分からスポットライトをあててみるのもあり。十九世紀フランスはプロイセン王国との普仏戦争により、フランス第三共和政という共和政体を成立させた時期だ。つまり、自由とは何か? が美術に問われていた。

 

未来の大予想図!

f:id:sakurarai:20170113015305j:image

 大阪万博で未来の技術としてパビリオンを彩っていた、「テレビ電話」や「歩く歩道」今じゃあたりまえになっとる。訪れた多くの当時の大人たちは、まさかこんな時代がくるなんて思わなかったらしい。

未来に住んでる僕らは夢の技術に囲まれている。

そこで、未来の大予想図!

 

・Concept-愛i(コンセプト・アイ)

トヨタが開発。人間の自律神経を読みとって快適な自動運転ができる。さらに、会話も楽しめる。

 

・ILY-A

千葉工業大学 未来ロボット技術研究センターが開発。座っているだけの自動運転から、運転ができるキックボードなどにトランスフォームする。

 

・電柱地中化

今、東京オリンピックを目標に都市部では電柱の地中化が進んでいる。二〇三〇年にはさらに進んでいることだろう。

 

・完全な自動翻訳

テレスカウター(Tele Scouter)

翻訳メガネも東京オリンピックに向けて開発が進んでいる。メガネだけでなくコンタクトも可能になるかも?

 

この図には描けなかったが、愛・地球博で紹介された。磁気浮上式リニアモーターカーIMTS(Intelligent Multi-Mode Transit System)、燃料電池ハイブリッドバスなどの未来の技術が現実になりはじめている。

 

神、家庭的なり

 

スサノオは亡くなられた母に会いたいといって父に追放されてしまう。

 

すごいありふれている。

 

スサノオは亡き母の国へはいかなかないで、姉のいる高天原へいく。

 

そこで乱暴して、キレた兄のアマテラスは引きこもりになり、やばいことになって、またスサノオは追放される。

 

追放されたのは地上。

怪獣ヤマタノオロチをやっつけて英雄となる。

 

 

幸せ僧侶


 自分は幸せだ、なんて、どれだけの人が思えているのだろうか。おそらく、日本人の大多数がそうは思ってないだろう。
金のためにストレスを抱えながら仕事をしている人に、将来のために受験問題を解こうとストレスを抱える学生。

 

そう、僕は幸せだと気がついたのだ。


きっかけは、幸福度ランキング上位の北欧暮らしが、実は家族とすれ違いが起きやすいリスクがあるとわかったから。一度すれ違いを起こすと、北欧の厳冬下で毎日ずっと家族と過ごすわけだが、すれ違いを起こしているとストレスがヤバイ。嫁と姑は喧嘩する、とかね。
 

日本でも自分たちを幸福だと思ってない、幸福度ランキング下位の大阪で暮らしいる僕は、北欧に比べて自由だ。冬でも滅多に雪が降らない大阪は、どこでもコンビニがあり、移動しやすく、東京より人が少ない。だから僕は幸せなんだ、と比較してわかる。でも、もちろん東京の人だってイベントが多いとか、いいところがいっぱいある。僕が言いたいのは、つまり考え次第で幸せになれる、ってことなのだ。

サバンナでも同じこと言えるのか?

日本はサバンナよりモノがあるわけさ。
この日本でも未だコンビニまで何キロもある地域もあるが、その分、自然が豊かだとか、人混みがないとか、渋滞に巻き込まれなくていいとか、考えを変えれば幸せだ。
有名大学へ進学すればいいとか、北欧で暮らせばいい、ってのは幸せへはつながりにくい。
自分は幸せだ、と考えるから幸せになれる。
そうはいっても簡単にはいかない。
だから、まず、基本的な部分をしっかりさせよう。
上司、家族、クラスメイトに嫌な人がいるなら、避ける。
これだけで、凄まじくゆとりができる。
昔、高校の先生が世界にはいろいろな人がいる、自分のまわりだけが全部じゃないから、と仰っていた。


凝縮された言葉だろう。

 

世界にはいろいろな人がいる、まわりの人が嫌な人だとしても、きっと素晴らしい人がいて、まだ出逢えてないだけ、そう考えよう。

自分のために生きる、これが結局は全員を幸せにするわけだ。

 

なぜそわそわするのか

f:id:sakurarai:20170108012510p:image

  アカシジアエビリファイなどの向精神薬の副作用として知られている。
ソワソワする、歩き回る、悪化するとリストカットなどの自傷行為をしてしまう。まずは信頼できる医師に相談しよう!
僕もエビリファイを飲んでいたから、よ〜くわかる。
この副作用には詳しい人によるとアキネトンが有効らしい。けれど、自己判断では危険だ!

 歩けるなら、歩けるだけ歩いて、帰宅して疲れたらホットミルクでも飲もうよ。
歩く目的だけど、なんだっていいと思う。
おすすめは神社とか、景色がいい場所!
何かしなくちゃいけない、と焦っている人がいるけど、それなら僕なんか何もしていない。ご飯食べて、ぶりぶりするだけだ。
だから、安心してほしい。それでは。

ミッション 穴から脱出せよ!

 暖かな部屋。暖房が効いていて、眠くなりそうな場所、あなたはトイレから爽快な顔で現れる。
そして、一言。
「おしっこしてきた」
「おお〜おしっこでるとは、お主なかなかやるの〜」
 妖狐が目を輝かしてあなたを褒めたてる。
なぜだかあなたは嬉しくなり、照れて顔を真っ赤にしてしまう。

この妖狐はあなたを可愛いとばかりいう。
妖怪からすれば人間は可愛いのだろか?

ある日、ゲームで遊んでいたとき、あなたはこう妖狐へ言った。
「ずっとずっと友達だよ」
「ずっとずっと友達じゃと?」
 あなたはつづける
「ずっとずっと友達、略してズッ友」
妖狐はふふっと笑う
まるで大好きな羊羹をほうばるような優しい顔で
「そうじゃな、わらわとお主はずっと友じゃ」
 妖狐はあなたの手を握る。
ずっとずっと……。


うつになると、穴にハマるように、あれしなきゃ、これしなきゃと自分を追い詰めてしまう。僕はさっきまで生きがいがない、仕事をしたい、とそんな思考の穴にハマってた。

だけど仕事でうつになる人もいて、何より仕事を楽しんでいる人なんかぜんぜんいないことわかってきて、それで抜けることができた。
そういえば、心療内科の先生はマズローの承認欲求の話題をしていた。一番下は生理欲求で、その上が安全欲求。このふたつは体の欲求らしい。安全な場所で食べたり排泄したりすること、その欲求。
さらにその上は愛や所属欲みたい。
僕らはネットによってある程度の所属欲は満たされる。ただ、その上にある第四階層の他者から認められたい、という承認欲求はなかなか満たされない。しかも、承認欲求は劣等感を生んでしまう。
この欲求を満たすには、ただそこであなたを認めてくれる者がいればいい。
僕は認めていきたい、そして認められたい。
そして幸せになりたいのだ。

なぜ多数の日本人が幸福ではないのか

資本主義が日本を包み込んでいる、ゆえに「使える」か「使えない」かのどちらかに分類される。もっといえば、「自分の利益となる人間」が「役に立つ」人間であり、「自分の利益ではない」となれば「役に立たない」。
恐ろしいのは、「役に立たない」から「社会的に不要」と考えることだ、これはよくある。
そうして、「役に立たない」烙印を押された人間が社会から逃げられず自殺するのだ。