さくららい制作日記

こころと創作について

文体

  硬質な文体って文字書きからすれば、憧れの一つだと思う。ぼくはできないけど、漫画なら硬質な文体で書けるかもしれない。

  文体をどうするかは悩みのタネだと思う。くどいレベルで比喩をつかう人はSMSとかにはほとんどいない気がする。どちらかといえば、さっぱりした「そのまんま」な文体が多数かな。

ぼくは言葉フェチというか、まあ「文学的」な人間でどういう文体なのか気になる。

硬質な文体にすると、「普通な人たち」が書きにくいってのがある。

  いわゆる「語学ヲタ」がいるけど、たしかに外国語学習は面白いンだが、それ以前に言葉の性質が面白いでしょって。じゃあ、よく使う日本語ってことになる。そうなると、「語学ヲタ」じゃなくて、やっぱ「言葉ヲタ」なんだよ。

「やっぱ」「ま」「そうそう」っていうような、ひらがなの表現が好きなんで、それらを駆使しつつブログみたいに創作していきたい。

どんどん著者がエスコートしていくふうな書き方より、ある瞬間にやってくる描写のすごさに感心がある。みたいな。文体が硬質でストーリーもしっかりしている、ってのは素晴らしいけどね。ぼくは前述のとおり、瞬間を描写していきたい。

文体いじりは楽しい。あきらかに、人間の寿命は長すぎで、だから人間はさまざまな趣味を持ち、なんらかのヲタになったりするわけだ。そう考えてみる。ならばできるだけ「長い時間遊べる」ものに興味を持つことだ。

 

 

ゲームのキャラデザ

  ゲームをつくりたい、ってイラストの依頼があったので協力した。
イラストは全八枚をiPhoneで二日かけて描いた。設定とかもぼくが考えた。
 

  最近は精神状態がよくない。誰かに裏切られるんじゃないか、ぼくの存在意義とはなんだ、みたいなのが脳裏に渦巻いていた。
でも、やることがあるとふしぎと前向きになるものだ。


  名前は『カルデラ
語源のスペイン語が「鍋」とからしいので、炎系属性の料理人キャラということにした。

ゲーム的にわかりやすいキャラがいいだろう。

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諦めること

  ぼくの奥の方の原動力は人間への憤りだからか、どこかで人間に諦めがある。それは嘲笑ですらない。たぶんそれが赦してしまう性格を築きあげてる。コップの水が溢れるともう溢れてしまう心配のないように。

  精神上の免疫なんだろう。これ以上なにかに怒っても、変わらない。ガキの頃から諦観でいたから、まわりのガキには到底理解できなかったろうな。

  諦めたとこから老化は始まるらしい。生きている人間は何かしろ、命とか夢に希望を持っている。それを諦めたら、もう人間である必要すらなくなる。そういうことだ。

  親戚のじいさんが病室であと少しで確実に死ぬというのに、鈍感で退院したら、と話していた。あんな風になれればいいけど、まあ無理だろう。

  あたりまえというか、命を諦めるときが来るタイプの人は、この現世に「何かを遺す」とかはなんの希望にもならない。なぜって、完全に消えてしまう人間にとっては、「諦める」ことしかできなく、「遺す」ことにはなにもない。

ある連想には

  この頃、漫画(小説も)でぼくが見たいなあ、と思うは、ある何気ないコマの絵が、どこか別のイメージに直結している感覚です。

って言ってもわかんないだろうから、例を挙げると、少女の優しさに母の姿を見る、とか。それはおままごとかも、そんな感じ。
  その人が見て来た世界が、再現されたとき、何か印象に残っていたわけで、その羅列が作品世界なわけです。こういうのを象徴に到達する、とも言えるのかもしれない。できれば、漫画でそういうのが見たい。
  ぼくも描いてみたい。

 

関係ないけど、メイドの雑記です。

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「人間」になるために煙草を吸うべきか

  ホテルで一時間くらいしか寝られなかった。九時半にチェックアウトし二十一世紀美術館で友人と待ち合わせ。
 

  金沢では電車の代わりにバスで移動する。
二十一世紀美術館は待ち合わせこそしたものの拝観せず、近くの金沢城公園へいった。
  金沢城公園では新たに玉泉庵という庭ができたらしく、お茶と和菓子を食べながら観た。
玉泉庵は「立体的な」庭らしく、たしかにゲームのダンジョンみたいだった。

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ああ、あの辺りにアイテムあるだろうな、みたいな話をしていた。
和菓子は白あんでほのかに甘かった。洋菓子系の砂糖の甘みではなく、餡子の甘みだった。作法的には、まず一口か二口でたいらげ、そのあとお茶を飲むらしけど、もったいないので、ちびちび食べた。
  お茶の方は苦くて濃かった。
  昔、作法がなってないことを将軍が左遷の理由づけにしたらしい。よくは知らない。
その他庵でなぜか英語表記のパンフレットを入手。友人は簡体字のパンフレットを入手していた。

 

  玉泉庵を後にし兼六園へいった。

観光客が多くてあちこちでガイドが解説をしていた。友人はガイドが嫌いな様子。
「自分が感じる前に説明されるのが嫌」
とのこと。
ぼくは説明を聞いたり読むのが好きだから、この考えはわからなくはないけど、ぼくは違うな、と思った。
ぼくは説明を聞いてから妄想を膨らませる。
で、兼六園の中でも和菓子とお茶をいただいた。ドロドロの羊羹に栗が入っているみたいなお菓子で凄まじく甘かった。

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そこで、うちの子について話をした。
「うちの子ってなんなの?」
ぼくは
「うちの子ってのはうちの子だよ。自分の世界を写したキャラクター。概念。それをツイッターとかでは描きあったりして、創作しながら交流する」
で小一時間くらいうちの子の話とか、キャラ造形の話をしていた。わりとディープな話をした。
  兼六園を後にしてカレー屋さんへいった。
スパイスと野菜が香るヘルシーなカレーだった。友人のおすすめらしい。

 

  大学卒業して自由になったけど、いざ自由になってみると何もやりたいことがない、空っぽだ、って話を聞いて、「じゃあ、さんざんゲームしたり旅行したりしようぜ」って言ったら、曖昧な顔をしていたように思える。
今まではやることがどんどん湧き出てきたけど、なくなると何をしていいかわからない、「自分」がない、という。
「自分」がないから、何も目標もないし、やりたいこともわからないし、って。
んじゃあ、「自分探し」をしよう。
いろいろ体験してみて感じることが大切だ。

それから駅前のスタバにいって大阪発まで一服。

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なんか「煙草を吸ってみようかな」とか言ったから、「肺悪くなるよ」と忠告しておいた。自分がないからか、煙草を吸えばすこしは精神的な動きがでてくるのかもしれない、それはたしかにおよそ感情というものが死んでいる友人にはいえた。

ぼくは煙草を吸う予定はない。健康主義者なのでね。

ぼくらの世代で喫煙者は少ない。世間はどんどん健康主義者になっていくから、煙草を吸う人が減った。煙草は、時間を吸うものらしい。つまり、煙草を吸う時間が増えてしまう。

ぼくは煙草には反対しているけど、こうも感情の起伏がない人をみていると、煙草の快楽をいれてやったほうがいい気もしてくる。

何も楽しくない。だから、単純で強度の強い快楽に接続する。ってのは、わかる話ではないだろうか。人生が煙草に侵食されだしたとき、はじめて人間になれる場合もあるのではないか?

つまり、「煙草は人間になるためのもの」なのかもしれない。

 

時間になり友人と別れサンダーバードに乗った。

金沢 ミッドナイト

  サンダーバードで、けものフレンズを観ていたら、あっという間に金沢へ到着した。

  けものフレンズ、別にIQは下がらない。むしろ大いに好奇心を掻き立てられた。あの、手描きに似せている3Dは手描きでは難しい模様とか、複雑な服装を動かすことができる。

アルペジオの3Dはなんとなく人工的だったのを思い出す。それと比べると随分自然に感じる。

動く快感がある。しかも、日本人のやり方で。アニメの伝統を守りつつ。

 

  あの中ではトキさんとかばんちゃんが好き。

カバさんはああ吉崎先生だな、って感じで、オリジリティの視点からは好きかな。

 

  金沢駅に着くと、雨だった。いや、雨が降ったり、止んだりという感じ。

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  金沢の夜はすごく寒くて暗い。このとき友人と待ち合わせをしていたけど、何故だか一切連絡がない。ひとまず宿へチェックインを済ませる。そこは外人がよく泊まっている宿。安い。タクシーの運ちゃん曰くこういう安い宿は長期滞在する外人がよく泊まるのだとか。宿の部屋はえらく寒く、精神的に不安定になる。暖房の効きが弱い。眠ろうと布団に潜っていたけど寒くて不安定で眠れず。ポットでコーヒーを作り飲む。すると友人からラインでメッセージ。どうやら寝てたらしい。

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友人が宿の近くまで迎えにきて、ミッドナイトの金沢でラーメンを食べたり、カラオケに行ったりした。友人はちょうど二日前に卒業したばかりだとか。

 

  だらだら漫画の話をして盛り上がった。

ピクシブや同人界隈が活発だけど、漫画界の水準が著しく向上したわけでもないよなあ」

とぼくは自分の業界感を述べた。

 

  ぼくは夜ふかしをしているうちに、なんとなく浮かれていた。そうだ、こうやって誰かと創作のこととか話すのは、随分だ。

回しゴマという、交互に描いていく遊びをやった。これは昔からよくやっている遊びだ。

ぼくは先手です。

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たーのしー。

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なんじゃこら。あーでも、こういう軽いノリのコメディはずっと描いていたい。

 

  今日はイトコの家に大阪バアムを届けて、東山へいこうかな、と考えている。

精神状態はまずまず。悪くはない。

ただ、夜ふかしをしたから寝不足だ。

 

 

 

ぼくは無能だと思う

ドキドキ。

  今日は金沢へ。二十一世紀美術館へいってから、夕方にはチェックインして、夜には友人と落ち合う予定。
なんかドキドキしています。
理由はわからない。
体調が悪くなって、胸が苦しくなって、観光どころではなくなるかもしれない。不安で苦しい。
  漫画は創作意欲があるんだけど、それ以上に胸が締め付けられて、どうしていいのかわからない状態。一応、「メイドさんもの」と「獣耳アクションSF」は考えてる。書くこと自体はあまり問題ではない。つまり、ぼくの作品なんて、つまらないと感じる人が多いということ。見せたところで編集さんにまた否定されるだろうし、同人でだしても、まったく売れないんだろう。今まで性格のせいもあって、人格ごと否定されてきたから、意欲減退している。
このドキドキした心で、クオリティの高いものを生み出すのは極めて困難。
  映画も観てないし、読書もぜんぜんできてない。「ユナステ」しか読んでない(まだ読破してない)。
  どうすれば、もっと気楽に楽しく創作していけるだろう。

  ぼくは将来への不安で胸が苦しくなる。
自分の能力への懐疑が強い。ぼくは馬鹿で、体が弱くて、能力もない。って観念。IQテストで高得点をマークしてるし、重たいモノを持ち上げられるし、ピクシブでランキング入りもしたけど、そう思ってしまう。
結局は、脳の異常から不安がきているのだろう。