ちょっとした憂鬱
朝目覚めると憂鬱だったりします。が、なんとか生きています。同じ日々を繰り返しています。
姉がインフルエンザに感染したらしくて、流行っているのを実感しました。
やったことといえば、ユーチューバーの動画を観たり、友達とスパワールドへいったりしました。それくらいです。
退院してから少しずつ回復してきているとは思う。ただ、まだまだ時間はかかりそう。
ぼくは生きているだけで満足できないようで目標とか野望があればいいのですが、ない。
あ、野望ではないけれどpixivがBOOTHという発表できる場をつくって、ぼくも漫画を描こうとしています。うーん筆がのらない。
プログラムをちょっと勉強していたりしました(飽きたけれど)。
自分がストーリーものを書くと辛気臭くなる。昔の作品とか読み返してみて、コメディしか描けない人なんだな、と自覚。
研究の概要
研究の概要
たぶんだけど、人間の行動のパターンが単純化すると極端になり、感情が生じる(これは知能と呼ぶ)。
どのように単純化するかといえば、食事パターンやらで単純化する。これはなぜ冬に統合失調症が多いのか説明がつくかも?
冬のような長い期間に単純化した人間が、感情を発生させて進化したと考える。しかも感情が生まれてきて、それが貧しいグループの中心で生まれる。それが神話じみているかな、と。
なぜかといえば、それこそアウフヘーベン的な説明ができる。
これは自然演繹体系(NI)と集合論で説明ができる。感情と呼んでいるものは言葉。
言葉的な認識の知能があってそれは知能と呼べるか微妙なんだ。しかし意識はそういった言葉的な認識の知能に従っている。
人間たらしめているのが言葉的な認識だけではない。ただし言葉的な認識とは色や形からも生ずる。すなわち “小さな集合から” が食料にありつけない場合に言葉的な認識が発生していく。かなり雑に書いたけれど概要はこんなところです。
部位
養老孟司さんが言っていたけれど、脳のある部分に注射を打つと話せなくなったりする。ぼくも11月からうまく思考したり絵を描くことができない。
脳が若干の萎縮している、と言われて自分の頭のなかがどうなっているのか知りたくなった。CTは撮ったけれど、さらに精密な検査があるらしいじゃない。自分のことだから、殊更に興味がある。
今までのスキルとか、そういったもの、思考もそうだけど全部は脳が支配していて、そこが傷つくとできなくなってしまう。ぼくの場合は環境要因が大きかったと思うけれど、先天性のものは当然あるはず。I.Qとかは下がったりしないらしいので、誰かの手を借りればまだなにか勉強とかできるのかも。とにかくいま回復するために休む。
古い夢を思い出したり、古い記憶がこの頃は呼び起こされる。これはなんなのだろう。