社会とトラウマの話
巣立ち羽ばたいていく鳥たちが、うまくやっていけずに死んでしまうように。晴れて社会人になったけれど、わたしはADHDなのだとわかって、どうすればよいのかわからなくなることがあります。
よく耳にする話ですけど、「小学校の頃のイジメが原因で大人になってもうなされつづけ、あげく無関係な人へ攻撃してしまう」
ADHDはトラウマになりうる一線が低いらしい。たとえ小学生の頃にイジメがなくとも、いずれはトラウマを抱えることになるでしょう。
ことに大切なのは、あなたを支えてくれていた存在のこと。幼い頃は誰しも気づかわれます。しかし、大人になるとわたしのチカラで生きようと努力して、それでいっぱいいっぱいになってしまうのですね。つまり、支えてくれて生きていくヒューマンにとって、愛してくれる、信頼できる人がいるかどうかにかかっています。
ストレスは水です。グラスへたまります。水がグラスからあふれかえると、トラウマとしてあなたを苦しめることでしょう。だから、水をかきだすのです。
イライラしてやつあたりするときは、誰かが話しを聞いてくれて(あるいは話してくれて)、それらを忘れられる。これらのプロセスがよき人生へ導くことは、もうすでに知っているはずです。
それに気分は変わりやすいことも、言うまでもありません。
さっき泣いていたヒューマンは、今にっこりと笑っていることだって、決して珍しいことではないのかもしれません。
それは、このような会話が想定できます。
「もう、どうしちゃったわけ? さっきまで、あんなにムカつくって怒っていたじゃない」
で、そうやってあきれる友人へと吹き出して、笑いながらこう言う。
「泣いて、怒っていたら、もうどうでもよくなった」
そして、明日のランチには忘れているのです。
この話しはここでおしまい。