さくららい制作日記

こころと創作について

カドカワ

  どういうこったさくらい、まるで意味がわからない。逆に質問したくある。平明なテクストを見て面白いのか、と。

 

  ヲタクたるものは二回目に読み返したときも、観賞に値するかを意図して作品をつくるものだと思っておりました。

  週刊誌は大量に描かれた時代が長く、クオリティが高いものを見たい層、、、マイナー層を相手に隙間産業をしてきました。作品を立派なものにしたい。読み捨て週刊誌は好き。

  ぼくは、芸術品としてものをあつかっていて、簡単! 早い! 面白い! は原則ではない。

 

  作家が内輪に呼び捨てるのは同じだからです。いつしか敬称「先生」がみかけなくなってきたように思えた。あれはわざわざつけて、一歩さがるためにあったのです。

  実感は週刊誌の時代は予想の通り衰えをみせています。まだ一部は熱いようですけれど、すこしずつ質を重視していくのではないでしょうか。

  カドカワについては、クレームをいれてどうだと誇らしげになるべきではない。誰かのチカラをあてにすべき時代ではない。みずから監督へ「直接依頼」をはたらきかけて、お金を集めつくっていけばいい。

  臆病ものではありませんか。タップして、あるいはキーボードを叩いて、待っていて「次回」があるとは、おそろしいことです。

 

けものフレンズ』の権利をもつのは誰かをはっきりさせてはいかがでしょう。それは、キャラクターは吉崎観音だし、アニメはたつきでしょう。両方にうなづいてもらえれば、次回をつくれます。

  たつき監督版と他をいろいろつくればいいだけなのです。 

 

最期の孤高

 

  被害者になりたがりな自分がいやだ。

 

  だいたい、孤高を決め込むなら自らの傷に注意をおこたるな。現在、ふらふらしとります。

体調がわるい。

 

  怪物として生きるざるを得ないものへ。街へいけば崩壊。さがす旅路は最中である。

 

  社会と憎しみをわかったところで、いまだ怪物な自分の生きる道はわからない。

 

  呪われた道であるとはわかりきっている。

 

  孤高な人々は世界中にごったがえし祖国はなく家も名前もない。王をもたず国をもたず、いや、、、その祖国すらしらない孤高の怪物。世界中にごったがえし旅路を行く怪物よ。

 

 

ストレス社会

“人は最後の最後に自分の良心に問う。自分というものを、善悪を、自分の生き方を。自分の人生を決める、いや何か有無を言わせぬ力でもって決めさせられるかのような究極の心の場所、それが良心である。心のどこかで良心が響く、すると我々はそれに従う他ないのである。”

あなたは貧困なり。
一食を二百円以下にすべき。
レバニラ炒めは二百円以下。温めれば食欲がみなぎる。

食欲ありこそ命。


テキパキと仕事を終えゆく頭はどう動いているのか。

六花
で、でも。わたしは、聞いてもらいたくて、でも言えなかった、、、。ごめんなさい。
あ‼︎ そうだ、今度ですね、海遊館へいきましょうよ。チケットあるのです😚

百華
海遊館 チケット有り)

六花は思考が二転三転せり。
百華は教狐(キョウコ)が何匹もいる。処世術として事実のみを使う思考といえる。ぼく? さくらい本人は悩みまくりですよ😰


精密な思考こそ偉大などとは芸術が育たない理由になる。
大地に立つ、空気に包まれ偉大な宇宙と素直な気持ちで一体となる。わたしは宇宙と同じであり、塵にすぎず、塵は宇宙と同じである。

芸術家は自然こそ師とする。
脳から解説したならば、右脳ははちゃめちゃな思考である。
はちゃめちゃ思考こそ偉大なのだ。右脳は精子卵子からしかできておらずすべて天才の素質があるからである。とはいえはちゃめちゃ思考に任せるわけにもいかず緻密な思考は(あえてこのいいかた)左脳にまかせる。


絵をみせてもわからない、という人がいる。

悪業! は「文字に起こさなければわからないのかやれやれだぜ」と、呆れからスタートしました。クドイくらい言葉は塗り重ねて言いまわしやらを工夫しなかば説得させたい想いに駆られながら書いてきました。
精密な思考では掴むことはできない、と確信した自信ではじめました。今尚、揺いでいません。

よし掴みきった! と、スルスルさっていく。なんだ、あれは?。

びっくりなのは、自分で自分へ暗示をかけることが、ぼくにはできる。そのための脳をつくるところからはじめました。


走ります。健康体を維持します。礼儀正しくありつづけ主人公と同じくらいひとを疑いません。最近はなわとびをはじめてみました。

悩みつづけ苦しみ悶え、大阪を歩きまわり見て聞いて触って食べて感動した素直に嬉しい気持ちを、大切にしてきました。

山ほどある文献はもう捨てました。


戦争を知らない世代にとって、世界は儚く脆いものだと、絶対に言いきれるまでになるには、どうすればいいかを求めてきました。
転機となったのは、寺でひたすら寝たことです。


いったいぼくはなにを悩んでいたのか、わからなくなり放棄しました。
社会はどういった仕組みなのかよりも人間はなぜ悩むのかを考えてきたといってもよいかもしれません。

素直になれない気持ちこそが、自らが自らを否定していることだと感じました。


バランスをとるために社会システムを導入しました。これはこれで骨が折れる作業なのですが…………。
ところがだんだん社会は理想を求めはじめてきました、けもフレは計算外だった。つらい現実からのがれようと美しく優しい世界を求める動きはわかりきっています。優しい世界は革命精神へ接続されることもわかりきっていました。
理想とはひとつの神。唯一の絶対でありますゆえ、つぎには絶対を振り下ろす暴力がくるのです。

ツイッターにおいて治安がわるくなったこともわかりきっています。似たものが集まるようにひとはできているのです。
はじめフレンズとしてあてまるけれど内実は似てないひともいて、ぶつかりあいはじめて、イライラします。


スマートフォンには、中毒などはないのです。ほかのサイトは荒れていませんよ。ツイッターは愚痴にイライラしたものが、さらに愚痴を、といった具合にイライラが連鎖していったのです。
陰気な思考が流れイライラしたアカウントは陰気な思考を流がし地獄が爆誕します。


その鬼みたいな渦を観察してきました。

「やってあげたのに、やってもらっていない」など、また「こうすればよくなる」でも変わりません。
ネットは便利です。便利ゆえに渦に呑み込まれやすい。

頭がよいとみなされていたかたでさえ疲れている。それはね。渦にいるからです。冷静な思考はあんしんしてみたされたしあわせよりうまれてきます。

サーバルの仔を天に抱き上げるカバン。

太陽は永遠のとき、命は巡る。

夕暮れのサバンナ、百獣の王となれ。

少女は静かにつぶやく。

サバンナ、熱帯の大地に立つ少女こそ、カバンだ。

内閣府、日本へ意見させてください

おはようございます‼︎。


ブログ記事とあまり関係がない、六花のイラスト。まーまー、さいごにまで読んでくださいな。


ぼくは…………………。

まだ、はやいのでしょうか。寝ながら、そうだひとは動くんだ。色は、なぜ色として識別されるのか、公共性だ、と起きて書いています。





では。さっそく、速記しますね。

たとえば、たくさんひとがいれば、より一般化された、やたらに人を傷つけない、かつスルーされない色が選ばれる。


インスタグラムで、うつ病にあるかたを、診断するプログラム。つまり、うつは暗い色を求めるので、ならばひとには、陥りやすいデザインがあることは想像できるはずです。


ホスピタルは、ホワイトの恵を享受され、葬儀屋は黒に守護されています。

祭りは義であったころ、色が意味を込めてられていたようです。
朱は、日本における高潔な色で、弁柄は性質から重宝されていました。弁柄は、酸化鉄であり、冷たく優しい。だから、日本人は弁柄を塗りたくったのかもしれません。

して、日本が赤ではなく、朱であることがうかがいしれる。赤は、西洋な考えであり、けして日本的な表現ではありません。
日の丸がいつの間にか、赤にされている、内閣府が間違った赤を使い続けている。ただしく日本を象徴する朱は、⬅︎左であるはず。

まるでマクドナルドかなにかです。
これは、ぼくは甚大な文化にたいする破壊だと思う。


さまざまな色をみてきました。このような赤は、わが植物に水がある日本には、ふさわしくないとおもいます。平和式典にて、赤な国旗がはためく旗に、ただならぬ間違いを感じました。

染色をしていて、または弁柄をまたは太陽をみても、赤などなく、鮮やかは慈しみな色が選ばれなければならない。



おおおお⁉︎⁈
そぉじゃったかぁー‼︎‼︎‼︎‼︎

これ、警告色ですヨ。

危険、危ない、触れるな、警告色は不快を喚起させる色であります。
国旗に、警告色に近い赤を採用してしまうのは、なんたることで。

いますぐに、でもいいのです。内閣府は、いや公共性から、一般化と程遠い赤を採用するのをおやめください。

白狐は白に赤を刻む足跡🐾なり。

万年筆

  ぼくは、書くことがスキです。


  万年筆に筆と文字をしるすモノはたくさんあります。カリカリしている万年筆は、もっともおきにいりな、道具のひとつ。それってケズルよろこび。土を掘るのに、とても似ているではありませんか。

 

  そうか、紙なんてなくたって地面をガリガリケズレルではありませんか。

「みて、これなんだとおもう」
「うーん。ウサギ⁇」

  そだよ、なんて具合に。
「んじゃあ描き方、おしえて?」


こーやるの。ぼくにもわたしにも書けました。
飽きるまで土をケズル、枝に石ころに道具はそこらじゅうにあるのですから。

  いまは、パソコンでキーボードの上どころか、スマホで、よろこびがすくないないではないだろうか。

削除された、エピソード

  尊属殺法定刑違憲事件。

  ひとを殺してはいけません。

 

  第二十六章に殺人の罪では、第一九九条において、犯した者は死刑又は無期又は五年以上の懲役に処す、とある。

  次、第二〇〇条は、削除。削除ですよ〜‼︎。

 

  夫婦別姓の選択を認めない民法の規定は、日本国憲法違反ではないか、違憲であると女性裁判官は全員一致しました。

 

  最高裁判所での大法廷つーのは、憲法に接触しているかどうかにあります。ゆえに、一九六八年(昭和四三年)、栃木で父親を殺害した事件で審議の結果、本来は死刑になるが、違憲とされました。

  近親姦を強いられた結果、親娘の間で五人の子(うち二人が幼いうちに死亡、他にも六人を人工妊娠中絶)を出産し、、、。当時二九歳だった娘が、当時五三歳だった父親を縊死させたとして、死刑をおなじように、父親のように、ロープで吊るされるのをただジッとまっていた。

  十一人。産むために、地獄をみて、死刑をまっている。うちに九人は死に母もまた、死ぬはず、、、。同居していた妹が同じ目に遭う恐れがあったからであった。

  殺されて当然な父親によって。死をまっている。

  マテーイ、憲法に人権を尊重するとあるのに、そりゃねーぜ。

 

  つまり、ようするに、殺人は重くとも五年以上の懲役にしかならない。殺せば、死刑になるかどうか、ではない。六法に命をかけて、削除された、死文にはエピソードがあり、第二〇〇条が削除と書いてあることはとても重いのであります。

死なないで

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↑ブログ記事とあまり関係のない、ムチムチなおっぱいをゆうする、狐さんのイラスト。

 

  ぼくはいま、このブログを大阪にある、とあるちいさな図書館で書いています。誰もいません、とても静かなところです。あなたに、どうしてもつたえておきたい想いがあります。

 

  死なないでください。
これは、深海から、ブログを読んでくださった、漁師たち、つまりあなたにどうしてもつたえておきたいことであります。

  もしも、あなたが自殺をしてしまったならば、あなたが未来でなしとげたであろう立派な偉業が、なかったことになってしまいます。

 

  希望は、どこにだってころがっているのです。
あなたは、スキなことがありますか?。
  科学、哲学、漫画、ゲーム、ネコ、ブタ、イノシシ、オナニー。けっこう、素晴らしいことです。ぼくらも、それらが大スキなのです。


  スマートフォンでは、日々ゲームが新しくリリースをつづけていますね。
もちろん、たのしませてくれます。
でも、それらに疲れてしまうことだって、あります。

  スマートフォンのいわゆる、ソーシャルゲームはよくいっぱいイケメン・えっちむすめなイラストが、ちりばめられています。
もし、ソーシャルゲームはやったことなくたって、ネット広告やテレビのコマーシャルで、めにしたこと、あるはずなのですね。

えっちなこと、えっちなむすめ、ぼくだって大スキですよ!。
  グラブルなんて、えっちなむすめだらけです。
Fateもだってあれもとはえろげ……こほん。

えっちなむすめ、イケメンがでてくるのですから、やりたくてうずうずしてしまうことがあります。なのに、ぼくはやっていません。
それはぼくにはほかにやりたいことがあるからなのです。ひとつは、このブログだったり……ww


  お金は悪魔デス。みなさんは、お札や硬貨を、ふだんから、さわっています。
もっともっと、たくさんあったなら、どんなにたのしいことができるだろうか、と考えているはずです。ぼくだって、いつも考えていますッww

  お金があれば、もっともっといろいろな、遊びができるはず。たのしいことが、できます。えっちなゲームをやれます。しかし、やはりお金は紙や金属に化けた、悪魔なのです。

  街を歩いています。タクシーは運転手さんがいて、コンビニは店員さんがいる。スーツ姿でサラリーマンは、せかせかと歩いてゆく。
じつに、いろいろなお仕事があります。

  幸せな顔をして、生き生きとしているかたは、なかなかみつかりません。みんなは、喉から手が出るほどにお金をほっしています。
お金はすべてを解決する、はずなのですから。

狂わせているのは、お金です。


  飲食店で、つーか居酒屋さんで、働いていたころは、たいへんでした。
  カラダに不自由がある障がい者は、店長からしてみれば、迷惑行為をするウザいお客さん。
店長さんは、ぼくへ陰口をこぼしていました。

障がい者は、なりたくて、障がい者になったかたは、すくないはすです。いくらそのことがひっかかり、イライラ、モヤモヤしてもたかだかバイトであるぼくが、言い返せるわけはない…………いまからすれば、「なんてことを言うねん!!」と怒りたかった。



  中国人だから。チョンだから、犯罪をやっているにちがいない。このような言動は、よく耳にしますよね?。聞いたこともないよ、というならば、とてもラッキー。
たしかに、どんどん隣国から外国人はやってきとります。

  チャイナタウンとよはわれ、ほぼ外国人しかいない街もあります。外国人が多いから、日本ではないような、そんな雰囲気もある。

  街は、駅にいけばわかるように、表記は英語と同じ大きさで、中国語と韓国語がみかけます。
  たくさんの人が日本へやってきています。
着実な国際化とも、考えられます。

 

  中国。みなさんの、ぼくが大スキなゲームやアニメ、漫画やアニメに、もはや必要不可欠な国です。なかま、です。仲間なのです。

  アニメを例に挙げると、おおくのアニメは、中国人スタッフが支えています。ピクシブを開けば、とっても素晴らしいイラストを、中国や韓国、台湾から描いてあるのが、わかるはずです。

  ぼくにも、中国や韓国に生まれたお友達がいます。ネットをふくめると、中国や韓国どころではなく、まさにインターナショナルな交流をしています。

  みなさんが、このブログを読んでいる、ということがすでにインターナショナルです。海にいます。ひらかれた世界をすでに知っている。
カラダは、日本にあっても、たのしいことは、むしろネットにあったりとしませんか?。
  ネットワークは、ひろい海ですから、いろいろな島をみかけたり、魚を釣ることができるのです。

 

  さてさて、中国人だから、犯罪者などといったきめつけは、いかにおろかなことなのかしらん。もしも、「日本」だけだったならば、どんなにたいくつなことなのでしょう。

  障がい者のかただって、犯罪者などてはけしてなくて、豊かな海そのものを象徴しているのです。まさにいま、パラリンピックでは、かれら障がい者が、おどろくべき記録を更新する!。


  六法全書では、法律は、外国人にたいして差別をすることを、けしてあってはならない、と書いています。生まれた国を理由に、バカにしたり、コケにしたりしないことです。もし、あなたが、日本人であることを理由に、ゲームや、漫画をあそんではならない、と差別されたなら傷つきますよね。おんなじことよ。

 

  これから、みなさんは、さまざまな外国人とであい、仕事をともにし、結婚することもあるでしょう。
  いつも、あたまのかたすみに、配慮をお願いしたく、あなたが実践したならば書いたかいがあったことですから、うれしくなります。


  そのむかーし、むかしもいいところ。この国では、スサノオという英雄がいました。
おさないころに母をうしない、かなしみのあまり泣いてばかりいたのです。母のいる場所へいきたい、と。
父は、泣いてばかりのスサノオをしめだします。

…………………………。
なんだかんだあり、ヤマタノオロチというモンスターを撃破して、村娘をたすけます。
そして、SEXして結婚❤️❤️

いまでも、語り継がれています。何千年というむかしむかしはお話が、いまとかわらないとは。
  このようなお話は、どういうわけかふしぎにどこの国にも、ふるくからあります。

そのひとつは、とてもよくしられた、新約聖書というものがあります。

バイブブルブル。ではなく、バイブルなどと訳されており、ゲームなどでも、おなじみな言葉です。ユダという男が、神の子イエスをうらぎって、後悔のあまり木に首を吊ったのでした。


  日本は、法律がありまして、それなりに、わりとよくできております。
  もとをたどります。大陸法、ローマ法という、むかし考えられていたものにたどりつきます。ローマ法律とは。厳密な。かなり冷静なものであったために、現代日本はその血をいまでも体内に宿しております。

  ローマ法は、、、おなかに、ハンムラビ法典など、いまからみれば、ひどあたものが食べていたことが、うかがえます。

 

“眼には眼を”


  眼を傷つけたならば、あなたの眼を傷つける。
やられたら、やりかえす、とハンムラビ法典ではされていました。このあたりは、何千年と経過した、しかもアジアは東の果てで、みゃくみゃくと受け継がれています。

  眼には、眼を。これでは、みんなが失明しちゃいます。もっとも、はじめから他者を傷つけてはならない、抑止力なのですが、ムチャですよね。他者を傷つけてはならない、それをやってしまうのは、ぼくたちです。
みんなが幸せになれればよくて、しかし、かんたんには、いかないものです。



  たまたま、ある大阪は古い暮らしぶりがまだのこっているところに、明治生まれか、大正生まれかの、おばあちゃんがいました。
かるく会釈しました。その日は、暑い夏です。まぶしいくらいの道路と、ぼうとするくらいの昼間。

  そこは。東京都内にいても、ヲタクロードにいても、満たされなかったやすらぎがありました。
  ほにゃらら寺とかいう、とてもりっぱなお寺で、ゴロゴロしておりますと、幸せになれたのです。びっくりですね。

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ここまで読んでくれた、ヲチもない話を読んでくれた、あなたに、ありがとうね!。