組紐をやってみよう!
ほい、こんちわっす。
このごろは、走っています。スポーツシューズってすごい! ぜんぜん痛くなりません。
さて、ぼくはこのごろは、飾り紐をやっています。
あ、映画『君の名は。』にでていたやつよ!。
これらは、組紐とも総括されますが、かなり範囲が広いので、飾り紐と書きます。
飾り紐は、飾るための結び方です。
紐は、縄文時代でも使われていたほどに歴史をもっています。刀なども鞘などに綺麗な結び方をほどこしていました。廃刀令により、だんだん喪われてしまいまいました。
なぜか組紐=韓国の構図が世界で認知されています、が日本にもそうとう古くから伝わっています。まあ、それほどまでに、日本からこの組紐、飾り紐の文化が喪われた、ということであり嘆かわしく思います。
これが紐。ちりめん紐。ちりめんとは、いらなくなった着物などを再利用したものです。
結んでみました。
残念なことに、結びかたを教えられる人は少なくなってきていて、参考になる資料もあまりありません。
どんどん、広めたい!!。
やり方などもぼちぼち載せていこうかな、と考えています。
今描いている漫画、悪業! にも、飾り紐はでてきています。
ちょっとした遊びごころは、心を豊かにしてくれます! ぜひ!!。
感情がない、ということはどういうことか
あなたは、 Urbach–Wiethe disease という病気があるの知っていますか?。
ウルバッハ・ヴィーデ類脂質蛋白症という非常に珍しい遺伝病で、局所性両側扁桃体損傷により、恐怖を感じなくなり、向こう見ずな行動をとるようになるんです。
(たとえばヘビが)「怖いと言っていたのに、実際にみたらなんで触っているの?」→「好奇心に勝てなかった」
こういうのは、身に覚えがありました。それも、頻繁に。毎日のように。
ああ、そうか………………。
「なんであんな体験したのにへらへらしているの?」
ぼくは、言葉を失いました。
ああ、そうか、いままでの作品を読み返して、ようやく気がつく。ぼくには、「恐怖」がないのだった。そのことは明らかだった。一行も、一コマも著者は本気で恐怖を書いていないようすだったから。
検査を受けたほうがいいのかもしれません。
むかし、イラストに黒を好んで使っていたら、ある人が「イラストは黒が禁止されているのを知らんのか」と。知りませんでした。その頃は、蒙古斑がある絵描きだったから、黒を使っちゃいけないなんて思えなくて、反論したんです。
ぼくが育ったのは、絵画に漫画で黒は大きな役割を果たしていた。黒は絵に締まりがあらわれるから、好きだった。
なにも考えなくていい沈黙の色は、黒だけですから。
それからというもの、沈黙の効果がすなわち恐怖を喚起させる性質を知り、黒はイラストから抜きました。でも、わからないんです。先日に書いたように、ぼくはほんとうに恐怖はわならない。そういった感情がすっぽり抜けている。そのために、いまでも納得ができずじまいなんですよ。
効果は知っていても、理解はしていない、そんな状態なのです。
悪業! 試し書き
百華(このひと)は、みんなを不幸にしてるんだ。きっと、自分が生きるためなら、なんだってしていい、とかそんか理由で……。
でも、百華がいないと、私たちは生活ができないのも、たしかだろう。それだけじゃない。生活だけじゃなく、生き方も、たくさん教わっている。
けれども、私は、悪業(わるいこと)を手伝っている、犯罪者にすぎないんだ……。
ぼろのシャツ一枚と安物のジャージのダサい姿で、私は四畳半の部屋で三角座りをしていた。
そう、頭をかきむしりたくなるほど、疲れていたのだ。涙がとまらなかった。優しい母を心の何処かでは疑いをもっていて、百華さんのことをどこかで尊敬している自分があること、なんて私は馬鹿なのだろう。なんてひどい狐娘だろう。
百華さんに嫌われたらどうしよう。情けない! なんて嫌われたら、もうお仕事はできないかもしれない。
好かれなきゃ……好かれなきゃだめなんだ、涙なんか、みせちゃだめなんだ。なのに、どうして、どうして涙がとまらないの……。
アパートの窓から月明かりが真っ暗な自室へゆらめく。
嫌われた狐娘(ひと)には、居場所なんてない。ゴミ捨場にてでうずくまるしかないだろう。こびを売ってでも、愛されなきゃいけなくて、嫌われた人間は病気のだらしのない社会の廃棄物。などと考えていたら……月明かりが瞳に染みる。
無力な私が情けなくて、ぼうとしてきた。
もう取り替えしがつかない。私は、詐欺に加担した、つまりは犯罪者で、百華さんには従うしかない。
いっそ、死んでしまおうか?。でも、死んでしまったから、お母さんにもうしわけがない。
だから、だからこそ。私は、私のためだけじゃなく、幸せになってみかえしてやりたい。
こんなにも、幸せになれたんだって。一生懸命に生きれば、多少は悪事に手を染めても、いつか報われるんだって。
はあ、とため息がでた。すこし熱くなったのが恥ずかしい。誰かいないのかな、とさみしくなってきたから、ひとまず部屋からでてみる。木製のアパートのボロボロに錆びた階段を降りる。階段を音を立てないように、静かに踏んでいく。ふと、街をみた。
月だ。
月は満月だった。
雲はなく、透明な夜空に月が、独りで激しく主張しているようだ。わたしはここ、ここにいるんだ! ……て。
それから、私は幾千ものビルや人々が暮らしている街明かりを探したが、いつのまにか、公園にいた。砂場には、子供たちが遊んだあとらしき山々がのこされている。
ここでは補導される可能性があるから、それはたいへんまずくて、とそう頭ではわかっているのに、体はいうことが聞かない。ふらふらと歩いて、ベンチへ座る。夜の風が幽霊の気配を公園の木々へ運んでいるようだ。
私は、馬鹿だから、約束なんて守れていない。
母の優しさにも、百華さんの声にも、ずっと約束は守れずじまい。ベンチへ座って、ココアの缶を開ける。ステンレス製の堅さに爪が痛い。ココアは、腹ペコな胃のなかへおくりこまれて、食道を通って、ぐるるるる、と私のお腹を鳴らした。ちょっと、神経過敏になっているのかもしれない。私はどうして、こんな夜の公園でココアを飲んでいるのだろう。生きるため、子孫のため。
わからない。わからないよ……。
………………………。
公園からは、きゅーとなゾウやウサギの遊具と、ブランコと、あと鉄棒がふたつみえた。
深夜は二時くらいだろうか。ひとけはまるでない。まわりの住宅地も真っ暗で、瞳を閉じても、そうでなくとも、かわらないぐらい。
街灯はわずかに私の頭上から射していたけれど、手に握っているココア缶の成分を読むことは、できそうにない。自分の尻尾を自分でもふり、柔らかな感触に心地よさを得る。
ああ、これぞ狐娘失格。
きっと、いまからビルから飛び降りて、死ぬのが一番に楽だろう。生きてゆくならば、てきとうに不良と恋をして、そのまま不良と暮らしていくのもいいかもしれない。
あるいは、それは幸せの形なのかもしれない。あるいは、はよけいかな……。
よく見たら、街灯には、蛾が飛び込もうと体を蛍光灯へぶつけて、またぶつけていた。
ステンレス製はココア缶の穴へ覗き込むと、何にもみえなかった。無意味な行為に、おもわずため息ひとつ。
よくお母さんは、生きなきゃいけない、と私へなんども云った。生きて、生きて残るのが、生き物の役目なのよ、と。
その意味はぜんぜんわからない。
そんな、優しすぎる言葉を想い出して、すこし笑けてきた。あの美しい瞳を、忘れたことはない。なんて慈悲深いルビーのような瞳だったことか。私はベンチから立ち上がって、背中をのばして、あくびをひとつした。
明日は百華さんと釣りにいく。そのあと、アパートへ戻り、そのまま布団で寝ることにした。『悪業! 狐のお仕事』
◆
ぼくは制作が迷走しだしたので、散歩の途中で祠へいった。真夜中なので誰もいない、わけではなく、ここは年中誰もいない祠だった。古い大阪の町並みを残す場所で、ちょっとこの感覚はお伝えできない。地蔵もある。これだ! と悟る。ほのかな灯りに木のしつかんがゾワリとさせうる。
悪業! を決定させる装置。それは、地蔵さん。サンスクリット語ではクシティガルバ(क्षितिघर्भ [Kṣitigarbha])というらしい(このあとから、いろいろ調べて般若心経へたどり着いた)。
◆
ぴゅーひょろひょろ
ひょろひょろひょろ
と、笛の音が聞こえてくる。笛の音に和太鼓の律動が混ざっている。
ああ。あれは地蔵さまだ。
ガルバは、母のお腹のなかを指す。
狐たちも、警察官たちも、被害者も、弁護士も、皇室の者まで、踊りながらやってくる。
みな、母の胎でどのような姿では、どうだったのだろう。地蔵は大慈悲により苦悩の者をつみとり救うとされている。だから、日本人は地蔵を日本のどこにでも置いた。
地蔵菩薩は兜率天で修行をしている、とされ御釈迦様が入滅後に五十六億七千万年後に弥勒菩薩が地上に出現するまでの間、仏が不在となる。
その間。地獄道、餓鬼道、修羅道、人道、畜生道、天道の六道を輪廻している。
けれど、そんな日はこないだろう。
六華も、近藤正宗も、皆が笑う。
そして、
生まれてくる者へ。
イマ、ここから先には、想いが溢れかえっているようにみえた。
“これも「でうす」千万無量の御計らひの一つ故、よしない儀とは申しながら、「ろおれんぞ」が身にとつては、いみじくも亦哀れな事でござつた。”
芥川竜之介『奉教人の死』より引用
『悪業! 狐のお仕事』
【了】
◆
“やゝ年も暮、春立る霞の空に白川の関こえんと、そゞろ神の物につきて心をくるはせ、道祖神のまねきにあひて、取もの手につかず。”
自動の機能として、考えない状態があるわけだと。筋肉に力をいれて動くように、意識しはじめる。
これで、ここらか考えていき、裏付けていけばいい。
般若心経の唱えが、唱えていることで言語の壁にやられていることから脱却したとするならば、筋肉がそうである。
それは式にできるかもしれない
それだともとに閉じ込められているように、一瞬は思うだろうが、そうではないやろうと。
ま! あとは、その巨大な論理体系を飾る緻密な設定があり、鮮やかに一つへ結晶化できるか、やな。設定を並べていくと、万華鏡になる、とかなら面白そうだ。
六花は内部に巨大な善へ意識しており、それは皇室やまわりの者をベースにしていたために、そこへかえろう、かえろうと動く苦しみが生まれる。今ある幸福を完全に善とはしないから、それが駆動する。
六花はお金が欲しい、つう凡百な目的で生きているから、わかりやすいはず。
生きるためには、お金が必要。給料を払ってくれるものがいる。
お金を稼ぐために、働きつづける。目的がへぼいから、目的を満たすものへ依存関係が発生しとるんぢゃわな(ロリババア)。
悪業! から手塚治虫
姉からLINEで神戸ゆかりの美術館でやっている、手塚治虫展を一緒にみにゆかないかと、誘われていたのでいってきました。
姉は身だしなみに、すんごくうるさいので、髭を剃りいい服を着てでかました。
イケメンすぎたので逆痴漢されました。
ぼくはいま、詐欺事件や警察関係の作品を制作しているのですが、そのことでゴシップ記事やら新聞など難しい話題がならんだものを読みすぎて、ゆとりがなくなっていました。
作品を書くにあたり、没入しなくてはならないと思うのです。没入しすぎて、難しい話題ばかりが増えてしまっているのが、つらい。
神戸新交通ポートアイランド線。
からみえた静かな海に浮かぶ四国フェリー。
大阪市内からやってきて、この静かな街に眠りそうになっていた。
昨晩から寝不足なぼくは、うつらうつらしながらも、姉とゆかりの美術館へやってきた。
「休む?」
と姉。
「休む」
とぼく。
手塚治虫展へきて、すぐにソファで寝そうになるのは、なんなんだよw
宝箱を抱いて寝る冒険家みたいな恥ずかしさがありました。
手塚治虫は生涯に七〇〇作品ほどの漫画を遺しています。原稿へ描かれた絵の繊細な美しいさは驚くべきもので、けして雑にたくさん描いたわけではありません。
『森の伝説』
はエロい。
これが、一番に記憶に残ったのです。
なんでやねん!!。
遺作となった、手塚治虫の傑作。
『ルードウィヒ・B』
『ネオ・ファウスト』
『グリンゴ』
がならんでいました。ポートアイランド線もそうですよね、後期の手塚治虫作品はカタカナが多い。ぼくは、アンチゴシックの書体が好きです。アンチゴシック+カタカナは最強です!。手塚作品でつかわれている書体からは、理性的な作風を強調しているかと考えます。
生きる、生きるとはなんだ。
シッダールタのまえで沼へ溺れ死んだ子供。
ブラックジャックが治療したのに、結局は亡くなってしまった患者さん。
火の鳥へ永遠の命を求めて、何億もの時間を孤独に過ごした者。
虚しさのなかにふつふつ怒りが混じるような、かなしいような、そんな複雑なきもちにさせられます。
手塚治虫は速読の人だったそうで。ぼくもこのごろは、かなり読むのがはやくなった気がしますが、まあ自慢話はつまらない。
手塚はちょっとした待ち時間に分厚い本を読破するような、すぐれた情報処理能力を有していたそうです。ずいぶん、生き急いだのでしょう。せっかちだといえばつまらない。漫画へ命を捧げた熱い魂の人です。
特筆すべきは、やはり手塚治虫の情報処理能力の高さ。これは随所にうかがえると思います。ブラックジャックは、ニュースで騒がれていたゴシップを積極的に取り入れた、ゴシップものの側面があります。そのマメさは、ぼくはよくわかります。
ニュースになるような事件は身近なものです。いまぼくがやっている作品も、詐欺や労働に関するものですから。
ぼくの作品は、親しみやすさが乏しいという指摘がまえまえからあがっており、どうにか克服したいところです。
作中が生身のあまりとりえもない中学生、というのは主人公になりません。なんでかといえば、それでは生々しいすぎる、なぞを意識している節があるからです。あまり生々しいもすぎれば、没入が強くなりすぎ、社会システムを書こう人間としては失格なのではないだろうか。
もしも書くのならば中学生一年生でそれも性のことや家族を意識するような、ありふれた危機を書こう。
じろりと目線が女子へとむいている、そんな自分が気持ちが悪いと、憎んでいて勃起したペニスとニキビ。
自慰をしてスマホで大好きなアーティストの楽器をイヤホンで聴いて、ウキウキする。
ふとっていて、勉強は大嫌い。女子だって、やおら笑い転げて教師をネタにする軽さが、不愉快いたしかたなく、つよい知識人へ尊敬を抱いてる。
もしいえば、嘲笑されるにきまっている性の想い。正直ならば性犯罪へ、知識人へ尊敬しているならば、意識が高い劣等生として、げらげらと笑われるのであろう。
…………これはやりすぎ?。
社会システムを書く。なかなか、うまくいきません。
手塚治虫は、そこらへんをパロディやら、喜劇を駆使して重い物語なのに、そう感じさせないワザがあったはずです。
すこし真似してみようかしらん。
あと、コスプレイヤーさんがいました。
セイバーがました。兵庫のセイバー。
なにかイベントがあったのかな?。
悪業! 狐のお仕事(まとめ)
舞台となるのは、現代の日本。
この世界では、狐娘は約五年しか生きられません。なので高速で子どもを産み、大量のお金が必要なのです。そして、狐娘たちに大人気の職業といえば、もちろん泥棒!。
狐娘たちは群れ、すなわち強盗団を結成しています。それぞれナワバリがあり、いつも争っています。
各泥棒チームのなかで最も長生きで強いものがボスです。
大阪市天王寺区のボス。狐娘からは、南地区四丁目と呼ばれています。
百華は八歳になる九尾の狐。
とんでもなく感がよく、暴言魔のヘビースモーカー。仲間からの信頼は厚い。
彼女らの生死はサイクルが短い。
短いゆえに世代交代も早い。
たまに突然変異も生まれてくるらしい。
漫画版の主人公。
名は六花。ユキと読みます。
かなりナイーブかつややメンヘラ気質。
世間知らずだが、優しさのある娘です。
こちらの物語をお読みくださいまし。
◆
縁側で狐(おかあさん)と将棋を指していたのがまさかえらいひとだなんて、私は思わなかった。聞けば、その人は首相になったとか。
ねえ、おかあさん。私は心で呟いた。
お金持ちの家庭は、どこか欠陥があって、金に汚くて、ずるがしこい人たちだなんて、そんな嘘をどうしてついたの。あの人たちは、笑わないはずじゃなかったの。
「義経千本桜」の白狐の真似をする父親がでてくるはずじゃなかったの。
葬式に集まった親族たちが遺産相続争いをするんじゃなかったの。
私がつらいぶん、あの人たちもつらいんじゃ、なかったの。
「六花! なにぼさっとしておる」
「なんじゃよー! 具合でもわるくしたか?」
私は、百華(くだら)さんの声におもわずおびえた。煙草でかすれたかすれた言葉は私にとって大嫌いなタイプのもの。
お母さんのような、優しくて、静かなのが、この世界で一番なのに。
「やばいだろ……あいつ、あの狐娘(アイツラ)。こんなサイゼなんかで、泣き始めんなよ」
「のお、ユキ。えす理論をしっとるよな。ありゃな、ただの都市伝説(ヨタバナシ)じゃないぞ! くふふふ、まあ聞け! 秘密を守るには、誰も信じぬような冗談を流布するのがよく効くんじゃ〜!」
私は馬鹿だからみんながなにを言っているのかがわからない。どうして、みんなが幸せになりたがらないのかが、ぜんぜんわからない。
私に向けられた、百華さんの舌打ちにビクッとなり、私は心臓の痛みに気がついた。
「ぶらっくぼっくす? 展というのがあったのを覚えておるじゃろ? えす理論は世界を救う奇跡の発明じゃった! そうではあるまい、えす理論は世界を滅亡させる悪魔の発明じゃというのが、真相じゃ。えす理論を発表したのは、日本人じゃった。名前は鈴木!。鈴木理論!。研究は世界れゔぇるで秘匿とされておってのお、一般人にはけして明かされん。真相を知れば消される。……というのが真相じゃし、検証さいとが閉鎖されたのは、なにかの圧力があったからじゃの。くはははは!」
爆笑している百華さんはいったいなんのことを言っているのだろう。
えす理論ってなに?
ぶらっくぼっくす展ってなに?
「真相の真相はというとのぉ! あれは、ふぇいくじゃ! あんなばかばかしい冗談にだれもがふりまわされたのじゃ! くふっ、えす理論は計画的に流布されておる」
私はお母さんを想いだして、さっきまでほろほろと涙を流していたことを、忘れようとしていた。百華さんは、喉がかわいたのじゃ、と店員さんに水を要求している。
お母さん、私は悪い人たちにかこまれています。はやく、なんとかしなきゃ普通の生活がしたい。お願いします……。
『悪業! 狐のお仕事』母の愛
んじゃ、次です。
彼は近藤正宗。
巡査です。
百華に疑いをもっていますが、なかなか動けないでいる、正義の漢。
百華に射殺されます。
こちらの物語をお読みくださいまし。
◆
巡査になる前のこと。
私こと近藤正宗はある問題に悩んだ。
「ある事件に関しての話」
配られた用紙には、そう書かれている。
「A〜E の五人が容疑者として浮かんだ。犯人は一人である。各容疑者は以下のように証言した。」
頭を抱えるながら、続きを読む。
「調査後、このうち二人は嘘をついていることが分かった。犯人は次のうちだれであったか。」
A「犯人は D だ」
B「私はやっていない」
C「犯人は B か E だ」
D「A も B も嘘をついている」
E「C は嘘をついている」
栃木県の高校を卒業し、私はすぐ警察官を目指した。
成績は自慢ではないが、優秀だった。父は警察官、母は主婦の家で育った。新聞に掲載される凶悪事件を読むたびに煮えたぐる怒りが湧いた。絶対に、警察官になる。
だが、目の前にした採用試験に頭が痛くなる。時間がない。解答しなければ。考えろ、考えれば必ず解ける。
A は D を犯人だとした。
怪しい。疑いアリ。
次。
B は やっていないとした。
B は ひとまず保留。
ヤツはやっていないと主張するからだ。信じなくてどうする。
次。
C は B か E を犯人だとした。
怪しい。疑いアリ。
他人に罪を着せようと考えているヤツを信頼できない。
次。
D は A も B も嘘をついているとした。
疑いアリ。
B は無罪だと想定している。
従って、嘘をついているのは、D オマエだろう。つまり、
A C D は疑いアリ。
次。
E は C を嘘をついているとした。
A → D を否定。
C → B E を否定。
D → A B を否定。
E → C を否定。
A が犯人であるなば、A の証言は D に否定されているため、嘘。
B は本当。
C は E に否定されているため、嘘。
B は本当だから、D が証言していることは嘘だ。
となると、 C は嘘をついているため、否定されていない E の証言は本当。
疑いついているのは二人。
それゆえ、二人が嘘をついてた場合は、D しか犯人になりえない。
ーーーー。
答えは D。
タブン。
私は問題を解き終えて、安心した。
私は高校の先生と話した。
「近藤正宗です。この度、無事に採用試験に合格しました」
「なんじゃ、きゅうにきよって。うむ、さみしいかった……わけあるまい! ちがうぞ、たまには顔をださぬと、その……さみしいじゃろ」
「先生、この問題はどう解けばいいのか教えて下さい」
先生はにっこり笑って教えてくれた。
「これはの、背理法をつかうんじゃ。まあ、これこれ、このようにしての〜〜 ほうれ、できた」
「な、なるほど。勉強になりました。ありがとうございます」
「ぬしはかわらぬの〜」
おわり
ちなみに。
これ。
今日はこのへんにしときましょう。
最後にクダラさんのありがたいお話を。
「たわけ、家電量販店の店員はのお!
会社から派遣さとるんじゃよ、おすすめきけば自社製品を売りつけるんじゃよ。かもになりょって! ばかめ! たわけ!」
「ばかめえ! むかしのお!地方へ赴任した役人じゃったか、やつら私服を肥やすのが仕事じゃから、任期を終えたころには、サラリーほども私腹を肥やしておった!サラリーと私腹をもってうきうき! ところが、ふねが沈んで“ サラリー” のほうが海の底となりて私腹がのこった!」
悪業と書いてワルと読む。なんつうか、チャンピオン感がする。
あ、ちなみにです!。
近藤正宗が通っていた高校の先生はお狐先生。
いや、セルフパロディなんですが。
お狐先生は健康な笑いを楽しむ、学園コメディなので、その話はまたどこかで!!。
人によっては涙腺崩壊する話
いまから書くことは、読みとばしてオッケーだよ!。
「物書き」だから「物書き」をしているわけです。
「絵描き」だから「絵描き」
そこでおしまいでごさんす。
今日は今日で今日だから今日なので今日は今日で今日だから今日は
リンゴではない
リンゴでないわけではない
よって、神はいる。
これが面白いと思えるかです。
そのシャカシャカ振られている世界そのものが面白いとして描くよりはカクテルが混ざるなかのようすをみるほうが楽しいのではいかと。
友人よりコメント
“物書きだから物書きで終わり以上に何かあるとも思えんしそこでおしまいと考えていいんでない?”
ありがたいコメントを頂きました。
ありがとうございます〜!。
乾燥した閉じた世界より豊穣な閉じた世界を。
実りある豊穣をいのり身を捧げる。それこそが、おわりではじまりでした。とさ(人によってはここで涙がとまらなくなるはずでしょう)。
狼の血族の路線ではこういうことを描いていきたいと予定。
楽しいことをすること
まるでエロ漫画雑誌だ。と今ホットな話題の週刊少年ジャンプを買ってきました。『ゆらき荘の幽奈さん』はとても気になるところですが、
その次の記事。ハリウッド版のデスノートのが気になる。なりすぎる。この体を隠した、L役のキース・スタンフィールドさんは黒人の俳優さんだし、ライト・ターナー役のナット・ウルフさんはユダヤ系アメリカ人の俳優さんなんですよ。意図が感じられる。
有頂天家族に正解するカド、面白いアニメの作品があるのに、アニメは衰えたことにされていたりします。
衰えたのは受け手です。
合理主義に敗北した日本の伝統。
串で食べる、という極めてデンジャラスな行為は苦情がきます。
そういった、不合理でデンジャラスな行為がなくなったら、退屈な世界になるのではないでしょうか。
一見、無駄にみえる行為になにか大切なものがあるらしいです。