さくららい制作日記

こころと創作について

内閣府、日本へ意見させてください

おはようございます‼︎。


ブログ記事とあまり関係がない、六花のイラスト。まーまー、さいごにまで読んでくださいな。


ぼくは…………………。

まだ、はやいのでしょうか。寝ながら、そうだひとは動くんだ。色は、なぜ色として識別されるのか、公共性だ、と起きて書いています。





では。さっそく、速記しますね。

たとえば、たくさんひとがいれば、より一般化された、やたらに人を傷つけない、かつスルーされない色が選ばれる。


インスタグラムで、うつ病にあるかたを、診断するプログラム。つまり、うつは暗い色を求めるので、ならばひとには、陥りやすいデザインがあることは想像できるはずです。


ホスピタルは、ホワイトの恵を享受され、葬儀屋は黒に守護されています。

祭りは義であったころ、色が意味を込めてられていたようです。
朱は、日本における高潔な色で、弁柄は性質から重宝されていました。弁柄は、酸化鉄であり、冷たく優しい。だから、日本人は弁柄を塗りたくったのかもしれません。

して、日本が赤ではなく、朱であることがうかがいしれる。赤は、西洋な考えであり、けして日本的な表現ではありません。
日の丸がいつの間にか、赤にされている、内閣府が間違った赤を使い続けている。ただしく日本を象徴する朱は、⬅︎左であるはず。

まるでマクドナルドかなにかです。
これは、ぼくは甚大な文化にたいする破壊だと思う。


さまざまな色をみてきました。このような赤は、わが植物に水がある日本には、ふさわしくないとおもいます。平和式典にて、赤な国旗がはためく旗に、ただならぬ間違いを感じました。

染色をしていて、または弁柄をまたは太陽をみても、赤などなく、鮮やかは慈しみな色が選ばれなければならない。



おおおお⁉︎⁈
そぉじゃったかぁー‼︎‼︎‼︎‼︎

これ、警告色ですヨ。

危険、危ない、触れるな、警告色は不快を喚起させる色であります。
国旗に、警告色に近い赤を採用してしまうのは、なんたることで。

いますぐに、でもいいのです。内閣府は、いや公共性から、一般化と程遠い赤を採用するのをおやめください。

白狐は白に赤を刻む足跡🐾なり。

万年筆

  ぼくは、書くことがスキです。


  万年筆に筆と文字をしるすモノはたくさんあります。カリカリしている万年筆は、もっともおきにいりな、道具のひとつ。それってケズルよろこび。土を掘るのに、とても似ているではありませんか。

 

  そうか、紙なんてなくたって地面をガリガリケズレルではありませんか。

「みて、これなんだとおもう」
「うーん。ウサギ⁇」

  そだよ、なんて具合に。
「んじゃあ描き方、おしえて?」


こーやるの。ぼくにもわたしにも書けました。
飽きるまで土をケズル、枝に石ころに道具はそこらじゅうにあるのですから。

  いまは、パソコンでキーボードの上どころか、スマホで、よろこびがすくないないではないだろうか。

削除された、エピソード

  尊属殺法定刑違憲事件。

  ひとを殺してはいけません。

 

  第二十六章に殺人の罪では、第一九九条において、犯した者は死刑又は無期又は五年以上の懲役に処す、とある。

  次、第二〇〇条は、削除。削除ですよ〜‼︎。

 

  夫婦別姓の選択を認めない民法の規定は、日本国憲法違反ではないか、違憲であると女性裁判官は全員一致しました。

 

  最高裁判所での大法廷つーのは、憲法に接触しているかどうかにあります。ゆえに、一九六八年(昭和四三年)、栃木で父親を殺害した事件で審議の結果、本来は死刑になるが、違憲とされました。

  近親姦を強いられた結果、親娘の間で五人の子(うち二人が幼いうちに死亡、他にも六人を人工妊娠中絶)を出産し、、、。当時二九歳だった娘が、当時五三歳だった父親を縊死させたとして、死刑をおなじように、父親のように、ロープで吊るされるのをただジッとまっていた。

  十一人。産むために、地獄をみて、死刑をまっている。うちに九人は死に母もまた、死ぬはず、、、。同居していた妹が同じ目に遭う恐れがあったからであった。

  殺されて当然な父親によって。死をまっている。

  マテーイ、憲法に人権を尊重するとあるのに、そりゃねーぜ。

 

  つまり、ようするに、殺人は重くとも五年以上の懲役にしかならない。殺せば、死刑になるかどうか、ではない。六法に命をかけて、削除された、死文にはエピソードがあり、第二〇〇条が削除と書いてあることはとても重いのであります。

死なないで

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↑ブログ記事とあまり関係のない、ムチムチなおっぱいをゆうする、狐さんのイラスト。

 

  ぼくはいま、このブログを大阪にある、とあるちいさな図書館で書いています。誰もいません、とても静かなところです。あなたに、どうしてもつたえておきたい想いがあります。

 

  死なないでください。
これは、深海から、ブログを読んでくださった、漁師たち、つまりあなたにどうしてもつたえておきたいことであります。

  もしも、あなたが自殺をしてしまったならば、あなたが未来でなしとげたであろう立派な偉業が、なかったことになってしまいます。

 

  希望は、どこにだってころがっているのです。
あなたは、スキなことがありますか?。
  科学、哲学、漫画、ゲーム、ネコ、ブタ、イノシシ、オナニー。けっこう、素晴らしいことです。ぼくらも、それらが大スキなのです。


  スマートフォンでは、日々ゲームが新しくリリースをつづけていますね。
もちろん、たのしませてくれます。
でも、それらに疲れてしまうことだって、あります。

  スマートフォンのいわゆる、ソーシャルゲームはよくいっぱいイケメン・えっちむすめなイラストが、ちりばめられています。
もし、ソーシャルゲームはやったことなくたって、ネット広告やテレビのコマーシャルで、めにしたこと、あるはずなのですね。

えっちなこと、えっちなむすめ、ぼくだって大スキですよ!。
  グラブルなんて、えっちなむすめだらけです。
Fateもだってあれもとはえろげ……こほん。

えっちなむすめ、イケメンがでてくるのですから、やりたくてうずうずしてしまうことがあります。なのに、ぼくはやっていません。
それはぼくにはほかにやりたいことがあるからなのです。ひとつは、このブログだったり……ww


  お金は悪魔デス。みなさんは、お札や硬貨を、ふだんから、さわっています。
もっともっと、たくさんあったなら、どんなにたのしいことができるだろうか、と考えているはずです。ぼくだって、いつも考えていますッww

  お金があれば、もっともっといろいろな、遊びができるはず。たのしいことが、できます。えっちなゲームをやれます。しかし、やはりお金は紙や金属に化けた、悪魔なのです。

  街を歩いています。タクシーは運転手さんがいて、コンビニは店員さんがいる。スーツ姿でサラリーマンは、せかせかと歩いてゆく。
じつに、いろいろなお仕事があります。

  幸せな顔をして、生き生きとしているかたは、なかなかみつかりません。みんなは、喉から手が出るほどにお金をほっしています。
お金はすべてを解決する、はずなのですから。

狂わせているのは、お金です。


  飲食店で、つーか居酒屋さんで、働いていたころは、たいへんでした。
  カラダに不自由がある障がい者は、店長からしてみれば、迷惑行為をするウザいお客さん。
店長さんは、ぼくへ陰口をこぼしていました。

障がい者は、なりたくて、障がい者になったかたは、すくないはすです。いくらそのことがひっかかり、イライラ、モヤモヤしてもたかだかバイトであるぼくが、言い返せるわけはない…………いまからすれば、「なんてことを言うねん!!」と怒りたかった。



  中国人だから。チョンだから、犯罪をやっているにちがいない。このような言動は、よく耳にしますよね?。聞いたこともないよ、というならば、とてもラッキー。
たしかに、どんどん隣国から外国人はやってきとります。

  チャイナタウンとよはわれ、ほぼ外国人しかいない街もあります。外国人が多いから、日本ではないような、そんな雰囲気もある。

  街は、駅にいけばわかるように、表記は英語と同じ大きさで、中国語と韓国語がみかけます。
  たくさんの人が日本へやってきています。
着実な国際化とも、考えられます。

 

  中国。みなさんの、ぼくが大スキなゲームやアニメ、漫画やアニメに、もはや必要不可欠な国です。なかま、です。仲間なのです。

  アニメを例に挙げると、おおくのアニメは、中国人スタッフが支えています。ピクシブを開けば、とっても素晴らしいイラストを、中国や韓国、台湾から描いてあるのが、わかるはずです。

  ぼくにも、中国や韓国に生まれたお友達がいます。ネットをふくめると、中国や韓国どころではなく、まさにインターナショナルな交流をしています。

  みなさんが、このブログを読んでいる、ということがすでにインターナショナルです。海にいます。ひらかれた世界をすでに知っている。
カラダは、日本にあっても、たのしいことは、むしろネットにあったりとしませんか?。
  ネットワークは、ひろい海ですから、いろいろな島をみかけたり、魚を釣ることができるのです。

 

  さてさて、中国人だから、犯罪者などといったきめつけは、いかにおろかなことなのかしらん。もしも、「日本」だけだったならば、どんなにたいくつなことなのでしょう。

  障がい者のかただって、犯罪者などてはけしてなくて、豊かな海そのものを象徴しているのです。まさにいま、パラリンピックでは、かれら障がい者が、おどろくべき記録を更新する!。


  六法全書では、法律は、外国人にたいして差別をすることを、けしてあってはならない、と書いています。生まれた国を理由に、バカにしたり、コケにしたりしないことです。もし、あなたが、日本人であることを理由に、ゲームや、漫画をあそんではならない、と差別されたなら傷つきますよね。おんなじことよ。

 

  これから、みなさんは、さまざまな外国人とであい、仕事をともにし、結婚することもあるでしょう。
  いつも、あたまのかたすみに、配慮をお願いしたく、あなたが実践したならば書いたかいがあったことですから、うれしくなります。


  そのむかーし、むかしもいいところ。この国では、スサノオという英雄がいました。
おさないころに母をうしない、かなしみのあまり泣いてばかりいたのです。母のいる場所へいきたい、と。
父は、泣いてばかりのスサノオをしめだします。

…………………………。
なんだかんだあり、ヤマタノオロチというモンスターを撃破して、村娘をたすけます。
そして、SEXして結婚❤️❤️

いまでも、語り継がれています。何千年というむかしむかしはお話が、いまとかわらないとは。
  このようなお話は、どういうわけかふしぎにどこの国にも、ふるくからあります。

そのひとつは、とてもよくしられた、新約聖書というものがあります。

バイブブルブル。ではなく、バイブルなどと訳されており、ゲームなどでも、おなじみな言葉です。ユダという男が、神の子イエスをうらぎって、後悔のあまり木に首を吊ったのでした。


  日本は、法律がありまして、それなりに、わりとよくできております。
  もとをたどります。大陸法、ローマ法という、むかし考えられていたものにたどりつきます。ローマ法律とは。厳密な。かなり冷静なものであったために、現代日本はその血をいまでも体内に宿しております。

  ローマ法は、、、おなかに、ハンムラビ法典など、いまからみれば、ひどあたものが食べていたことが、うかがえます。

 

“眼には眼を”


  眼を傷つけたならば、あなたの眼を傷つける。
やられたら、やりかえす、とハンムラビ法典ではされていました。このあたりは、何千年と経過した、しかもアジアは東の果てで、みゃくみゃくと受け継がれています。

  眼には、眼を。これでは、みんなが失明しちゃいます。もっとも、はじめから他者を傷つけてはならない、抑止力なのですが、ムチャですよね。他者を傷つけてはならない、それをやってしまうのは、ぼくたちです。
みんなが幸せになれればよくて、しかし、かんたんには、いかないものです。



  たまたま、ある大阪は古い暮らしぶりがまだのこっているところに、明治生まれか、大正生まれかの、おばあちゃんがいました。
かるく会釈しました。その日は、暑い夏です。まぶしいくらいの道路と、ぼうとするくらいの昼間。

  そこは。東京都内にいても、ヲタクロードにいても、満たされなかったやすらぎがありました。
  ほにゃらら寺とかいう、とてもりっぱなお寺で、ゴロゴロしておりますと、幸せになれたのです。びっくりですね。

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ここまで読んでくれた、ヲチもない話を読んでくれた、あなたに、ありがとうね!。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

組紐をやってみよう!

  ほい、こんちわっす。

  このごろは、走っています。スポーツシューズってすごい! ぜんぜん痛くなりません。

 

  さて、ぼくはこのごろは、飾り紐をやっています。
  あ、映画『君の名は。』にでていたやつよ!。
  これらは、組紐とも総括されますが、かなり範囲が広いので、飾り紐と書きます。

飾り紐は、飾るための結び方です。


  紐は、縄文時代でも使われていたほどに歴史をもっています。刀なども鞘などに綺麗な結び方をほどこしていました。廃刀令により、だんだん喪われてしまいまいました。
  なぜか組紐=韓国の構図が世界で認知されています、が日本にもそうとう古くから伝わっています。まあ、それほどまでに、日本からこの組紐、飾り紐の文化が喪われた、ということであり嘆かわしく思います。

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  これが紐。ちりめん紐。ちりめんとは、いらなくなった着物などを再利用したものです。

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 結んでみました。

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  残念なことに、結びかたを教えられる人は少なくなってきていて、参考になる資料もあまりありません。


  どんどん、広めたい!!。

  やり方などもぼちぼち載せていこうかな、と考えています。

  今描いている漫画、悪業! にも、飾り紐はでてきています。
  ちょっとした遊びごころは、心を豊かにしてくれます! ぜひ!!。

感情がない、ということはどういうことか

  あなたは、 Urbach–Wiethe disease という病気があるの知っていますか?。
  ウルバッハ・ヴィーデ類脂質蛋白症という非常に珍しい遺伝病で、局所性両側扁桃体損傷により、恐怖を感じなくなり、向こう見ずな行動をとるようになるんです。
(たとえばヘビが)「怖いと言っていたのに、実際にみたらなんで触っているの?」→「好奇心に勝てなかった」
  こういうのは、身に覚えがありました。それも、頻繁に。毎日のように。

  ああ、そうか………………。
「なんであんな体験したのにへらへらしているの?」

  ぼくは、言葉を失いました。

  ああ、そうか、いままでの作品を読み返して、ようやく気がつく。ぼくには、「恐怖」がないのだった。そのことは明らかだった。一行も、一コマも著者は本気で恐怖を書いていないようすだったから。

  検査を受けたほうがいいのかもしれません。

 

  むかし、イラストに黒を好んで使っていたら、ある人が「イラストは黒が禁止されているのを知らんのか」と。知りませんでした。その頃は、蒙古斑がある絵描きだったから、黒を使っちゃいけないなんて思えなくて、反論したんです。
  ぼくが育ったのは、絵画に漫画で黒は大きな役割を果たしていた。黒は絵に締まりがあらわれるから、好きだった。

  なにも考えなくていい沈黙の色は、黒だけですから。

  それからというもの、沈黙の効果がすなわち恐怖を喚起させる性質を知り、黒はイラストから抜きました。でも、わからないんです。先日に書いたように、ぼくはほんとうに恐怖はわならない。そういった感情がすっぽり抜けている。そのために、いまでも納得ができずじまいなんですよ。

  効果は知っていても、理解はしていない、そんな状態なのです。

悪業! 試し書き

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  百華(このひと)は、みんなを不幸にしてるんだ。きっと、自分が生きるためなら、なんだってしていい、とかそんか理由で……。

  でも、百華がいないと、私たちは生活ができないのも、たしかだろう。それだけじゃない。生活だけじゃなく、生き方も、たくさん教わっている。

  けれども、私は、悪業(わるいこと)を手伝っている、犯罪者にすぎないんだ……。

 

ぼろのシャツ一枚と安物のジャージのダサい姿で、私は四畳半の部屋で三角座りをしていた。

  そう、頭をかきむしりたくなるほど、疲れていたのだ。涙がとまらなかった。優しい母を心の何処かでは疑いをもっていて、百華さんのことをどこかで尊敬している自分があること、なんて私は馬鹿なのだろう。なんてひどい狐娘だろう。

  百華さんに嫌われたらどうしよう。情けない! なんて嫌われたら、もうお仕事はできないかもしれない。

  好かれなきゃ……好かれなきゃだめなんだ、涙なんか、みせちゃだめなんだ。なのに、どうして、どうして涙がとまらないの……。

 

  アパートの窓から月明かりが真っ暗な自室へゆらめく。
  嫌われた狐娘(ひと)には、居場所なんてない。ゴミ捨場にてでうずくまるしかないだろう。こびを売ってでも、愛されなきゃいけなくて、嫌われた人間は病気のだらしのない社会の廃棄物。などと考えていたら……月明かりが瞳に染みる。
  無力な私が情けなくて、ぼうとしてきた。

 

  もう取り替えしがつかない。私は、詐欺に加担した、つまりは犯罪者で、百華さんには従うしかない。

  いっそ、死んでしまおうか?。でも、死んでしまったから、お母さんにもうしわけがない。
  だから、だからこそ。私は、私のためだけじゃなく、幸せになってみかえしてやりたい。

  こんなにも、幸せになれたんだって。一生懸命に生きれば、多少は悪事に手を染めても、いつか報われるんだって。
  はあ、とため息がでた。すこし熱くなったのが恥ずかしい。誰かいないのかな、とさみしくなってきたから、ひとまず部屋からでてみる。木製のアパートのボロボロに錆びた階段を降りる。階段を音を立てないように、静かに踏んでいく。ふと、街をみた。
  月だ。
月は満月だった。

  雲はなく、透明な夜空に月が、独りで激しく主張しているようだ。わたしはここ、ここにいるんだ! ……て。
  それから、私は幾千ものビルや人々が暮らしている街明かりを探したが、いつのまにか、公園にいた。砂場には、子供たちが遊んだあとらしき山々がのこされている。

 

ここでは補導される可能性があるから、それはたいへんまずくて、とそう頭ではわかっているのに、体はいうことが聞かない。ふらふらと歩いて、ベンチへ座る。夜の風が幽霊の気配を公園の木々へ運んでいるようだ。

  私は、馬鹿だから、約束なんて守れていない。
  母の優しさにも、百華さんの声にも、ずっと約束は守れずじまい。ベンチへ座って、ココアの缶を開ける。ステンレス製の堅さに爪が痛い。ココアは、腹ペコな胃のなかへおくりこまれて、食道を通って、ぐるるるる、と私のお腹を鳴らした。ちょっと、神経過敏になっているのかもしれない。私はどうして、こんな夜の公園でココアを飲んでいるのだろう。生きるため、子孫のため。
  わからない。わからないよ……。

………………………。
  公園からは、きゅーとなゾウやウサギの遊具と、ブランコと、あと鉄棒がふたつみえた。
  深夜は二時くらいだろうか。ひとけはまるでない。まわりの住宅地も真っ暗で、瞳を閉じても、そうでなくとも、かわらないぐらい。
  街灯はわずかに私の頭上から射していたけれど、手に握っているココア缶の成分を読むことは、できそうにない。自分の尻尾を自分でもふり、柔らかな感触に心地よさを得る。
 ああ、これぞ狐娘失格。

  きっと、いまからビルから飛び降りて、死ぬのが一番に楽だろう。生きてゆくならば、てきとうに不良と恋をして、そのまま不良と暮らしていくのもいいかもしれない。

  あるいは、それは幸せの形なのかもしれない。あるいは、はよけいかな……。
  よく見たら、街灯には、蛾が飛び込もうと体を蛍光灯へぶつけて、またぶつけていた。
ステンレス製はココア缶の穴へ覗き込むと、何にもみえなかった。無意味な行為に、おもわずため息ひとつ。

 

  よくお母さんは、生きなきゃいけない、と私へなんども云った。生きて、生きて残るのが、生き物の役目なのよ、と。
  その意味はぜんぜんわからない。
  そんな、優しすぎる言葉を想い出して、すこし笑けてきた。あの美しい瞳を、忘れたことはない。なんて慈悲深いルビーのような瞳だったことか。私はベンチから立ち上がって、背中をのばして、あくびをひとつした。
  明日は百華さんと釣りにいく。そのあと、アパートへ戻り、そのまま布団で寝ることにした。『悪業! 狐のお仕事』

  ぼくは制作が迷走しだしたので、散歩の途中で祠へいった。真夜中なので誰もいない、わけではなく、ここは年中誰もいない祠だった。古い大阪の町並みを残す場所で、ちょっとこの感覚はお伝えできない。地蔵もある。これだ! と悟る。ほのかな灯りに木のしつかんがゾワリとさせうる。
悪業! を決定させる装置。それは、地蔵さん。サンスクリット語ではクシティガルバ(क्षितिघर्भ [Kṣitigarbha])というらしい(このあとから、いろいろ調べて般若心経へたどり着いた)。

 

  ぴゅーひょろひょろ


  ひょろひょろひょろ


と、笛の音が聞こえてくる。笛の音に和太鼓の律動が混ざっている。

  ああ。あれは地蔵さまだ。

  ガルバは、母のお腹のなかを指す。

  狐たちも、警察官たちも、被害者も、弁護士も、皇室の者まで、踊りながらやってくる。
  みな、母の胎でどのような姿では、どうだったのだろう。地蔵は大慈悲により苦悩の者をつみとり救うとされている。だから、日本人は地蔵を日本のどこにでも置いた。
地蔵菩薩兜率天で修行をしている、とされ御釈迦様が入滅後に五十六億七千万年後に弥勒菩薩が地上に出現するまでの間、仏が不在となる。

その間。地獄道、餓鬼道、修羅道、人道、畜生道、天道の六道を輪廻している。

  けれど、そんな日はこないだろう。

 

  六華も、近藤正宗も、皆が笑う。

そして、

生まれてくる者へ。

イマ、ここから先には、想いが溢れかえっているようにみえた。

 

“これも「でうす」千万無量の御計らひの一つ故、よしない儀とは申しながら、「ろおれんぞ」が身にとつては、いみじくも亦哀れな事でござつた。”
芥川竜之介奉教人の死』より引用
『悪業! 狐のお仕事』

【了】

 

 

“やゝ年も暮、春立る霞の空に白川の関こえんと、そゞろ神の物につきて心をくるはせ、道祖神のまねきにあひて、取もの手につかず。”

松尾芭蕉奥の細道』より引用

 

  自動の機能として、考えない状態があるわけだと。筋肉に力をいれて動くように、意識しはじめる。
  これで、ここらか考えていき、裏付けていけばいい。

  般若心経の唱えが、唱えていることで言語の壁にやられていることから脱却したとするならば、筋肉がそうである。

 

  それは式にできるかもしれない

 

  それだともとに閉じ込められているように、一瞬は思うだろうが、そうではないやろうと。

  ま! あとは、その巨大な論理体系を飾る緻密な設定があり、鮮やかに一つへ結晶化できるか、やな。設定を並べていくと、万華鏡になる、とかなら面白そうだ。

 

  六花は内部に巨大な善へ意識しており、それは皇室やまわりの者をベースにしていたために、そこへかえろう、かえろうと動く苦しみが生まれる。今ある幸福を完全に善とはしないから、それが駆動する。

  六花はお金が欲しい、つう凡百な目的で生きているから、わかりやすいはず。
  生きるためには、お金が必要。給料を払ってくれるものがいる。

  お金を稼ぐために、働きつづける。目的がへぼいから、目的を満たすものへ依存関係が発生しとるんぢゃわな(ロリババア)。