さくららい制作日記

こころと創作について

白と黒

 

  生きることとは苦しいものです。そんなのは誰でもわかっているはず。学校や仕事で人付き合いがうまくいなかったり、ぼくみたいにニート状態で孤独に悩むこともある。 いろいろある。

 

  そのなかで生をどう肯定できるのでしょうか。
その前に自分は何者なのでしょう?。今日、ぼくは自分が何者なのかを考えていました。右翼なのだろうか、それとも左翼なのだろうか。暴力的な人間じゃないだろうか、ナルシストだろうとか。そんなことを考えていると、どれも当てはまりそうで、やっぱりそうとは言い切れない。もうどうでもいいやと結局は何もわからずじまいのままにしました。

猫の世話をしていたり、布団のなかでツイッターを眺めたりして、小説も書きました。小説では何が書かれているのかをはっきりさせなきゃいけない。そういえばぼくは白黒はっきりつけて考えてきたけれど、入院して自分でも頭がよくないと思いながら、答えなんて人によるんだと考えるようになった。たぶんまわりの人がはっきり規律をまもり、白黒はっきりつける人で冷たさをみたからでしょう。組織とはそういうものなのかもしれません。しかし、正しさという建物は中で働いていて、窓ガラス越しに世界を見ることだけなのでしょうか? もしかしたら手前勝手な落ちこぼれ思考なのかもしれないけれど、自分は紛れもなく世界に唯一で一個しかない存在なんだな、とどこかの時点で実感して、他者も同じなんだと考えているのかもしれません。鰻だって絶滅しかけて貴重な存在だとみんなが騒いでいます。唯一の命。たった一回の人選。生の肯定感はその貴重な命を大切にしたい想い。これは子供のときの心で長い旅をしてかえってきたのかもしれない。命は大切です。命は大切だから肯定したい。だんだん関心が夢とか、共産的な、友愛とか、分かち合いを求めるように向いてきたのかもしれないもしかしたら、はじめからそうだったのかもしれない。